連載コラム

2017/6/24FREE

目指すはケアリングシェア社会

経済万華鏡

浜矩子

 世の中、ちょっとした「シェア」ばやりですね。シェアハウスにライドシェア。民泊という名のシェアビジネス。企業経営の中では、「シェアードサービス」体制(間接部門の業務などを一つの部署に集約して、そのサービスを全社がシェアする)などというやり方を採用するケースが増えています。

 このシェアという言葉、筆者は、ちょっと厄介な言葉だと感じています。なぜなら、シェアという概念には二つの顔があるからです。一つ目の顔が「分かち合い」の顔です。この顔はいいお顔ですよね。分かち合い仲間の笑顔は優しい。
 ところが、シェアには、もう一つ、「奪い合い」の顔があるのです。企業が「わが社の製品は世界市場でナンバーワンのシェアを誇っている」などと言う時のシェアは、「市場占有率」を意味するシェアです。わが社のシェアが増えれば、その分、他の企業のシェアは減りますよね。つまり、市場占有率を意味するシェアは奪い合いのシェアです。
 さらに、銀行強盗に押し入った泥棒さんたちが、お互いに「早く俺の分け前をよこせ」などと言う時の「分け前」もシェアです。これも奪い合いの対象となるシェアですよね。

 さてそこで、どうでしょう。ライドシェアのシェアは「分かち合い」のシェアでしょうか。「奪い合い」のシェアでしょうか。自分の車にヒッチハイカーを乗せたり、タクシーに相乗りしたりするシェアはどっちのシェアだと思われますか?
 現象的にいえば、車の中という一つの空間を分かち合っていることになりますよね。ただ、気分的にはどうでしょう。見ず知らずの人々が相乗り状態になった時、そこにどこまで分かち合い感があるでしょうか。下手をすれば、限られた車内スペースを奪い合っている感じになってしまわないでしょうか。
 車内空間というスペースの中で、誰もが自分の分け前を切り取ってガードしている。そうなってしまったライドシェアに分かち合い感があるとは言えないでしょう。

 シェアハウスを巡っても様々なトラブルが発生しているようですし、怖い事件もありました。一つの家の中で、人々が自分のための空間的分け前を確保しようと必死になる。そんな状況になってしまえば、シェアハウスは摩擦の温床になってしまいます。
 分かち合いのシェアが、奪い合いのシェアに変貌(へんぼう)してしまうことは、どうすれば防げるでしょうか。筆者には、そこにケアがあることが勘所なのだと思えます。ケアとは思いやりであり、配慮であり、気配りです。お互いにケアし合う人々のシェアは、確実に分かち合いのシェアになります。
 ケア無きシェアは、たちどころに奪い合いのシェアに転化してしまう。そのように思えます。楽しく優しくシェアハウス住まいをされている皆さんは、お互いにケアの手を差し伸べ合っておいでなのだと思います。そこに生まれる「ケアリングシェア社会」が豊かに広がればいいなと思うところです。

イメージ

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

その他の連載コラムを読む

イメージ

2017/7/17FREE

ウォーレン・バフェット

目からウロコの経済用語「一語千金」
玉手義朗

イメージ

2017/7/11FREE

普天間基地移転問題の解決は「代替地でなく運用変更で」

新しい外交を切り拓く
猿田佐世