しかし、それは長くは続かない。核軍縮、気候変動、そして移民の問題やISへの姿勢など、世界規模で考えなければならない問題に対して自国の利益が最大になる選択をしようとするアメリカに、世界から非難の声が上がることだろう。いや、世界からだけではなくてアメリカ国内からも「自分の国がこれでは誇りを持てない」という良識的な声が出てくるはずだ。
日本でも最近は「世界から日本がこんなに賞賛されている」というテーマのテレビ番組が多く、それに対して賛否両論がある。私自身、この手の番組は「悪くはないがもう一歩」だと思う。なぜかというと、取り上げられているのはお金をかけた豪華な商品や店ではなくて「匠のワザ」や「おもてなしの心」であり、「モノではなく心のスゴさが尊敬されると人は満足する」ということには気づきつつあるように思うからだ。
ただ、残念なことに国内には「日本の心はスゴい」とはとても思えないような犯罪、差別問題があったり、経済至上主義の横行に基づく弱者への締めつけや格差の拡大も激しかったりする。つまり、番組で描かれているのは「こうであってほしい」という理想や幻想にすぎないと思われ、目指す方向としてはよいのだが、まだそれに到達していないというのが実情だからだ。
ただ、繰り返すが「モノやカネではなくて心がほめられてこそ」という気づきは間違っていない。そして、これは日本だけではなく、多くの国で気づかれつつあることであろう。もし、来年からのアメリカがこれに逆行し、「世界から尊敬はされないが、経済はさらに成長し雇用の水準も高い豊かな国」になったとしたらどうか。「自分さえよければどう思われてもかまわない」と心から満足できる国民は、実際には少ないのではないか。
トランプ氏らが考えるよりも、人間はずっと成熟しているのである。「カネさえあれば満足だろう」というのは大きな見込み違いだ。
とはいえ、冒頭に述べたように、ある時点まではトランプ主義で理念なき国家運営が行われ、「なんだ、それでよかったのか」と世界の国々、とくに日本はそれに追従してしまうのではないか。歴史を顧み、先人の知恵を大切にし、学問や文学にヒントを得ようとする姿勢はさらに弱体化し、身もふたもないような現実主義や感情に訴えるデマを安易に信じる人が増える“ポスト真実主義”の嵐が吹き荒れるかもしれない。これがいつまで続くのか。来年の半ばあたりで「このままではいけない」と気づく人がいるのか、それとも数年は続くのか。それによっても世界の行く末は大きく変わる。「むずかしいことを考えても仕方ない。とにかく目の前の問題を片づけるだけだ」「すべての人を救うことなどできないのだから、ある程度、痛みや犠牲を伴うのは仕方ない」といった考え方が何年も主流になると、そのあといくら「やはりあらゆる人の人権を尊重することが大切」などと気づいても時すでに遅し、となりかねない。
2017年のいずれかの時点で、「自分だけよければよい」「目先のことだけ何とかすればよい」という利己主義、刹那(せつな)主義から各国は、そして日本は舵を切って人道主義に戻ることができるか。そう考えると、来たるべき年は大げさに言えば、地球や人類にとっての“最後のチャンス”の一年と言ってもよい。日本としては、本当の意味で「心を大切にする国」となって、「アメリカはブレたけれど日本はスゴい!」と世界から称賛される存在を目指してほしい。