連載コラム

2017/7/4FREE

田園との出会い

第1回

今森光彦 里山いきものがたり~オーレリアンの庭から

今森光彦

 琵琶湖の畔(ほとり)の田園に出会って早いもので42年。そして、この田園が気に入ってアトリエを構えたのが32年前。その間、学生だった私は、プロの写真家となり、スローペースですが、興味は途切れることなく、とうとうこの地に根ざすことになってしまいました。
 魅力ある被写体、人との交流、生きものたちの生態、すべてのことから、今までに実にさまざまなことを学ばせてもらったように思います。後のち、長くつづくことになった私のライフワーク「里山」も、この田園を定点観察したことからはじまったと言ってもよいでしょう。今回から、そんな田園の中のアトリエから、メッセージをお送りしたいと思います。


 アトリエは、滋賀県大津市仰木にあります。「仰ぐ木」と書いて「おおぎ」、なかなかよい名前だと思いませんか。出会った頃、仰木には広大な棚田が広がっていました。スケールの大きな棚田は、当時としてもたいへん珍しかったはずなのですが、ニュースや冊子に取り上げられるわけでもなく、人知れずに息づいていました。目と鼻の先に生まれ育った私でさえ、その存在を知らなかったくらいです。
 仰木の棚田との出会いは、20歳の時にやってきました。免許取り立ての車で湖畔を走っていて、山沿いの農道を回り道して行こうという好奇心が裏目に出て、道に迷ってしまいました。琵琶湖があって、反対側には延暦寺で有名な比叡山があるという、とてもシンプルな地形なのに、一歩、農村エリアに入り込むと、これが、なかなかややこしいのです。農道は、起伏に沿って網の目のように不規則にくねっているのと、目印になるようなものがないことが原因になっていると思います。とにかく、一度迷ってしまうと、ぐるぐる回ったあげく、また元の場所に帰ってしまう、ということが起こるから不思議です。
 迷宮から出られなくなっていた時、見晴らしのよい小山を見つけました。車を降りて、坂道を駆け上がると、墓地でした。お墓のなかの小道をさらに上がると、向こう側がぱっと開け、見晴らしのよい田園が現れました。それが、仰木の棚田との最初のご対面です。


 収穫期の頃で、黄色い田んぼと、ところどころ刈り取られてセピア色になった田んぼが、モザイクのような模様をつくっていました。背後には、比叡山の北側にそびえる比良山が、黒く霞んでいます。右手に視線をはわせると、悠々とした琵琶湖の青い水面が見えるではありませんか。私は、あまりの美しさに息を呑みました。ちまちまとした町家造りの大津の街なかで育った私にとっては、心が洗われる風景でした。私は、棒立ちになって、その風景を日が暮れるまで眺めていました。
 20歳になったばかりの若僧が、田んぼの風景を見て感動するなんて、と思われるかもしれません。しかし、これには、訳があります。このことは、次回にお話ししましょう。



*写真の複写・転載を禁じます。

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写真家/切り絵作家

今森光彦

1954年滋賀県生まれ。幼い頃から昆虫少年で、大学卒業後に独学で写真を学び、1980年よりフリーランスとなる。以後、琵琶湖をとりまくすべての自然と人びとのかかわりをテーマに撮影している。また、熱帯雨林から砂漠まで昆虫写真を追求し、広く世界の辺境の地まで取材し続けている。アニマ賞(1989年)、木村伊兵衛写真賞(1995年)、土門拳賞(2009年)などを受賞。NHKスペシャルで「里山」をテーマにした番組を多数放映、現在もNHKBSプレミアムにて「オーレリアンの庭 今森光彦の四季を楽しむ里山暮らし」を不定期放映中。主な書籍に、『昆虫記』(福音館書店、1988年)、『里山物語』(新潮社、1995年)、『NHK ニッポンの里山』(NHK出版、2014年)、『今森光彦の心地いい里山暮らし12か月』(世界文化社、2015年)ほか多数。

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