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2017/5/16FREE

フランス大統領選挙が浮き彫りにした、大都市と地方の亀裂(1)

史上最年少の新大統領はフランスを統合できるのか?

時事オピニオン

熊谷徹

 2017年5月7日に行われたフランス大統領選挙・決選投票の結果は、欧州だけでなく世界全体を安堵させた。弱冠39歳のエマニュエル・マクロン前経済大臣が、66.10%の票を獲得して勝利したからだ。右派ポピュリスト政党・国民戦線FN)のマリーヌ・ルペン候補は、得票率が33.90%に留まり、敗北した。
 フランス国民が議員経験のない新大統領を、極めて消極的に「選んだ」理由とは? ともに「反EU」を掲げた極右と極左の大躍進。選挙期間を通じて湧き起こったデモや暴動。フランスを揺るがした大統領選を第1次投票から振り返る。

フランスのEU離脱は避けられた



 ルペンは「大統領に就任した場合、フランスの欧州連合(EU)からの離脱に関する国民投票を行う」と宣言していた。イギリスとは異なり、フランスはEU創設国の一つ。したがってフランスが離脱した場合、EU崩壊の可能性すら浮上する。これに対しマクロンはEU支持派である。マクロンの当選・ルペンの敗北によって、フランスのEU離脱(FREXIT)の可能性がひとまず遠のいたことは、欧州にとっては朗報である。
 だがマクロンの前途は多難である。伝統的な政党に属さず、議会に基盤を持たない大統領がフランスに君臨するのは初めてのことである。
 さらに、4月23日に行われた第1次投票の結果を分析すると、イギリスやアメリカに似た大都市と地方の格差、多くの有権者がEUに対して抱く深い不信感が浮き彫りになっている。



マクロン勝利は「静かな革命」



 フランスでは、第1次投票の結果は「フランスの政界を揺るがす大激震」と呼ばれている。実際今回の選挙は、「史上初」という代名詞のオンパレードである。
 まずマクロンは、第2次世界大戦後のフランスで最年少の大統領だ。フランス人たちは、2017年まで一度も選挙を経験したことがなく、議員として働いたこともない政治家を、エリゼー宮に大統領として送り込む。彼が率いる政治運動組織「En Marche!オン・マルシュ=「前進している」の意)」は、議会に基盤を持たない。それでも過半数の有権者たちは、変革を望んだ。この投票結果には、人々の、伝統的な政治エスタブリッシュメントに訣別し、フランスの政治と経済を改革しなくてはならないという固い決意が感じられる。
 マクロンがこれまで歩んできた人生は、フランスのエリートとしても珍しいサクセス・ストーリーである。1977年にパリ北部に位置するアミアンで、両親とも医師の家庭に生まれたマクロンは、パリ政治学院(シアンス・ポ)で哲学を学んだ。彼は2006年から09年まで社会党の党員だった。08年から12年まで投資銀行ロスチャイルドで働き、食品企業ネッスルがアメリカの製薬会社、ファイザーの乳児用食品部門を買収する取引に参加した。
 マクロンが急速に政治の舞台に登場したきっかけは、フランソワ・ミッテラン元大統領の経済問題についてのアドバイザーだったジャック・アタリ教授に見出されたことだった。マクロンはアタリの推薦でフランソワ・オランド大統領のアドバイザーとなり、14年から2年間にわたり経済大臣を務めた。マクロンの路線は穏健な社会民主主義であり、EUを重視する。

政治家としての手腕は未知数



 経済大臣として最も重要な任務は、フランス企業の競争力を強化して、失業率を削減することだったが、社会党左派や労働組合の反対により、改革努力は難航した。彼はオランド政権で企業減税などを含む経済改革案の策定に携わったが、その内容は国民議会での議論の中で、大幅に弱められてしまった。マクロンはマニュエル・バルス首相との対立により、16年に経済大臣の座を辞任した。彼は同年「En Marche!」という新政党を創設し、伝統的な大政党には属さずに大統領選挙に立候補した。
 つまりマクロンの政治家としての手腕は、まだ立証されていない。経済大臣を務めたのもわずか2年間であり、その間に大きな功績を挙げたとは言い難い。さらにマクロンは、経済の建て直しに失敗したオランド政権の一員だった。このことも、マクロンにとってプラスではない。彼が大統領の座に押し上げられたのは、多くの有権者が他の政党の候補者やパフォーマンスを受け入れがたいと感じ、「他の候補よりはマクロンが良いだろう」と考えた結果である。つまり仕方なくマクロンを選んだ有権者が多かったのだ。
 その事実は、左派系日刊紙「リベラシオン」が4月26日に公表した世論調査にはっきり表れている。このアンケートによると、マクロンを選んだ有権者のうち、「マクロンこそ大統領になるべきだ」と彼を積極的に選んだ有権者の比率は58%。これに対し、「他の候補者が気に入らないので、仕方なくマクロンを選んだ」と答えた有権者は41%にのぼる。マクロンについては、他の候補者に比べると、「仕方なくこの候補を選んだ」と答えた人の比率が高い。つまりマクロンの支持基盤は、他の候補に比べると固まってはいない。この数字から、政治家としての手腕が未知数のマクロンに対する、有権者の強いためらいが感じられる。


 決選投票でマクロンが圧勝したのは、共和党と社会党がマクロンに投票して、ルペンの大統領就任を阻止するように有権者に呼びかけたからだ。5月7日には、「マクロンとルペンのどちらも気に入らないが、ルペンのような過激な政治家が大統領になるのは良くない」と考えて、やむを得ずマクロンに票を投じた人が多かった。フランスでは、どちらの選択肢も悪いことを「コレラとペストの間の選択だ」と表現するが、この言葉は多くの有権者の感情を的確に表している。決選投票で棄権した有権者の比率は約25%に達するが、これは1969年以来最も高い数字だ。

二大政党の衰退が追い風



 つまりマクロンの勝利を間接的に可能にしたのは、フランスの伝統的な二大政党・共和党(旧UMP=国民運動連合)と社会党の凋落である。候補者の質があまりにも低かった。これらの二大政党がどちらも決選投票に進出できなかったのは、戦後初めてである。

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ジャーナリスト

熊谷徹

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局在勤中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツのミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、ヨーロッパの政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材・執筆を続けている。著書に『新生ドイツの挑戦』(1993年、丸善)、『びっくり先進国ドイツ』(2004年、新潮社)、『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(2007年、新潮社)、『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(2012年、日経BP社)、『日本とドイツ―ふたつの「戦後」』(2015年、集英社)、『偽りの帝国―緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇』(2016年、文藝春秋)など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(2007年、高文研)で第13回平和・協同ジャーナリスト奨励賞受賞。ホームページはhttp://www.tkumagai.de/

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