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2017/9/8FREE

宗像三女神とは?

世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」

時事オピニオン

川村邦光

 2017年7月9日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会で、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が、世界文化遺産に登録された。同年5月のイコモス(国際記念物遺跡会議)で除外勧告を受けた資産を含む8資産全てが登録されることになり、地元も喜びに沸いた。しかし、祭神の宗像三女神は、地元以外ではあまり馴染みがない。そこで宗教学の視点に基づき、改めてどのようか神かを解説してもらった。

宗像大社の沿革



 宗像大社(むなかたたいしゃ)は福岡県宗像市にあり、宗像市田島の辺津宮(へつぐう)、海岸から11キロ離れた大島の中津宮(なかつぐう)、60キロ離れた玄界灘の真ん中にある沖ノ島沖津宮(おきつぐう)の三社の総称である。平安中期に成立した法令集「延喜式(えんぎしき)」の中で、全国の神社と祭神の名を記した「神名式(じんみょうしき)」に記載のある式内社(しきないしゃ)になっていた古社である。


 沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の宗像三女神を祀る(表記は宗像大社社伝による)。宗像三女神は、国の安寧を守護する海の神として信仰されている。また、「安芸の宮島」に代表される厳島神社の祭神でもあり、両社を含め全国に6000社を超えて祀られている。特に市杵島姫は、弁財天と習合し、福徳財宝、音楽や技芸の神としても信仰されている。
 宗像大社の社殿は、天応元年(781)に三女神を初めて一所の神殿に祀ったとする説、また建長年間(1249〜56)に現在地に移ったとする説がある。現在の本殿(辺津宮)は、天正4〜6年(1576〜78)の再建。正面の柱が6本で柱間が5間、手前の屋根が長く伸びた五間社流造(ごけんしゃながれづくり)である。

アマテラスとスサノオの誓約で生まれた三女神



 宗像三女神は、『古事記』『日本書紀』の記紀神話に早くから現れる、由緒のある神々である。記紀神話に登場するのは大和や河内、出雲、伊勢の神々が主要であるが、宗像三女神だけが例外的に九州の土地神として出現している。それも記紀神話の主神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)(「紀」では天照大神)と、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)(「紀」では素戔嗚尊)の対決する重要な場面である。まずは『古事記』(岩波文庫)から、二神が対決し、宗像三女神が誕生する場面を見てみよう。
 スサノオが母の国である根の国に行くことになり、姉のアマテラスに別れを告げるために、高天原(たかまがはら)に昇った。そのとき、山川・大地が大いに震動し、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い、男装し武器を帯びて対峙した。アマテラスがどうして天に来たのだと問うと、スサノオは自分に謀反を起こすような悪しき心がないと答えるが、アマテラスは信用せず、清く明(あか)き心を証明するために、天安河(あめのやすかわ)で神意を伺うべく誓約(うけい)をすることになる。
 まずアマテラスがスサノオの剣を取って、噛み砕き吹き出すと、三柱の女神が生まれる。原文は「……吹き棄(う)つる気吹(いぶき)のさ霧に成れる神の御名(みな)は、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)。亦(また)の御名は奥津島比賣命(おきつしまひめのみこと)と謂(い)ふ。次に市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。亦の御名は狭依毘賣命(さよりびめのみこと)と謂ふ。次に多岐都比賣命(たきつひめのみこと)。」となっている。
 一方『日本書紀』(岩波文庫)では、「……吹き棄(う)つる気噴(いふき)の狭霧(さぎり)に生まるる神を、号(なづ)けて田心姫(たこりひめ)と曰(まう)す。次に湍津姫(たぎつひめ)。次に市杵嶋姫(いつきしまひめ)。凡(すべ)て三(みはしら)の女(ひめかみ)ます。」と書かれている。これはスサノオの持ち物から生まれたので、スサノオの子で、その心を表す。
 他方、スサノオはアマテラスの髪や手に巻いてある勾玉を貰い受けて、噛み砕いて吹き出すと、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)という五柱の男神が現れた。こちらはアマテラスの持ち物から生まれたので、アマテラスの子ということになる。こうして、スサノオには悪しき心がなく、清き心であることが証明され、三女神が祀られることになる。
『古事記』の続きを読むと、「故(かれ)、その先に生(あ)れし神、多紀理毘賣命は、胸形(むなかた)の奥津宮(おきつみや)に坐(ま)す。次に市寸島比賣命は、胸形の中津宮に坐す。次に田寸津比賣命(多岐都比賣命の異表記)は、胸形の辺津宮に坐す。この三柱の神は、胸形君等(むなかたのきみら)のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり。」とあり、三女神がそれぞれ玄界灘を南北につなぐ三宮に祀られ、筑紫(つくし)の豪族、宗像氏がその祭祀を執行したことが記されている。三女神の表記や配列は、『古事記』、『日本書紀』本文、同・異伝によってさまざまに入れ替わるが、現在ではタゴリヒメが沖津宮、タギツヒメが中津宮、イチキシマヒメが辺津宮となっている。
 他方、スサノオは女神を出現させ、「我が心清く明し」を証明したので、我が勝利だと宣言する。

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大阪大学名誉教授

川村邦光

1950年生まれ。東北大学文学部宗教学科卒。宗教学・民俗学専攻。天理大学教授を経て、97年大阪大学文学部教授、2016年3月退官。著書に『セクシュアリティの近代』(1996年、講談社選書メチエ)、『ヒミコの系譜と祭祀』(2005年、学生社)、『私にとってオウムとは何だったのか』(共著、05年、ポプラ社)、『憑依の近代とポリティクス』(編 著、07年、青弓社日本学叢書)、『聖戦のイコノグラフィ』(07年、青弓社)、『セクシュアリティの表象と身体 (ビジュアル文化シリーズ) 』(10年、臨川書店)、『弔い論』(13年、青弓社)、『弔いの文化史‐日本人の鎮魂の形』(15年、中公新書)、『出口なお・王仁三郎:世界を水晶の世に致すぞよ』(17年、ミネルヴァ書房)など多数ある。

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