中島岳志さんと若松英輔さんに“コロナ後”を見据えてお話しいただく対論連載第7回。この危機的な状況の中で、私たちの心に平穏をもたらす政治家とは? リーダーとは? 過去から未来へ、縦横無尽に検証する。お待たせしました。今回は、ガンディーを取り上げます。
中島岳志さんと若松英輔さん
断食によって争いを止めるということ
中島 今回は、インドの「独立の父」として知られる宗教家にして政治家、ガンディーを取り上げます。
まず、1946年にインドのカルカッタ(現コルカタ)で起こったことから話を始めたいと思います。この年は、インドがパキスタンと分離独立をする前年。カルカッタは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の激しい対立の中にありました。そして、ついに武力衝突が起こったときに、独立運動のリーダーだったガンディーはそこに駆けつけ、断食を始めます。争いがやむまで自分は一切食事を取らないと宣言しての、「死に至る断食」でした。
しかし、なかなか争いはやまない。そんなとき、一人の男が血相を変えてガンディーのもとにやってきます。そして、「私はイスラム教徒だが、3人の大切な息子をヒンドゥー教徒のやつらに殺された。あなたは和平だ、赦(ゆる)しだというが、この私の心にどうしたら赦しが宿るというのだ」と訴えるのです。
それに対して、ガンディーはこう答えたといいます。
「あなたと逆に、イスラム教徒によって親を殺されて孤児になったヒンドゥー教徒の子どもを3人、引き取りなさい。そして、その子どもたちをイスラム教徒ではなくヒンドゥー教徒として育てなさい。その子たちが成人して、あなたに感謝の意を述べたとき、あなたに本当の赦しが訪れるだろう」
男はその場で泣き崩れ、手に握りしめていた武器を捨てて出ていった、といわれています。そして、この話が町中に広まったころ、ついに争いはやみました。それを聞いたガンディーは、窓の外を見て争いの気配がないことを確認し、ようやく食べ物を口にしたといいます。
これはいったい、どういうことなのか。宗教的な断食によって争いを止めるなどという発想は、政治学の教科書には絶対に出てきません。これは反対の意思表示としてのハンガーストライキとは異なります。ガンディーは実際に、しかも今からわずか70年ほど前に、宗教的「行」によって大規模な紛争を鎮めた。とすれば、ここには近代の政治学が見失っている、政治の一番重要な部分があるのではないか。むしろそこから政治を見ていかないと、政治の本質に行き当たることはできないのではないか──。
その問題意識が、政治学者としての私の一番の根底にずっとあります。だから、ガンディーはこの対談で必ず取り上げたい人物の一人だったのですが、若松さんにとってのガンディーは、どんなイメージですか?
若松 私のガンディーとの出合いは、映画です。高校生のとき、リチャード・アッテンボロー監督が、ガンディーの生涯を描いた歴史映画『ガンジー』のレーザーディスクを兄が持っていて、何度も何度も見ていました。その影響はのちに私をインドに導くことにもなっていきます。中島さんと初めて会ったのもインドのデリーでした。
ガンディーは、デリーにある「ビルラ邸」と呼ばれるところで最晩年を過ごし、そこで暗殺されることになります。この場所は、今も私にとってとても大切な場所です。ある意味での霊性の基点です。私にとってガンディーは、社会的人間としてだけでなく、霊性的人間の教師でもあります。
映画を見ていた当時は、どうして自分がこれほどガンディーという人に惹かれるのかわからなかったのですが、今思えばそこには「言葉への不信」があったのかもしれません。私は若いころから、言葉というのは本当のことを伝えていないのではないか、という不信感をずっと抱いていて、ある時期までは本もまったく読みませんでした。そんなときに見た映画のガンディーが、言葉以上のものを体現する人に思えて、非常に魅力を感じたんだと思うのです。
今回、ガンディーの書いたものを読み直したのですが、やはり「言葉」だけを読んでも近づけない人だとあらためて感じました。もちろん、彼が口にしたり書いたりした言説は重要です。しかし、彼の人生を考えるときには、伝記や年譜を眺めているだけではなくて、そこに残されていない部分をどう捉えるかが大事なのだという思いを強くしています。たとえば、彼が断食した、という事実は年譜でもわかる。しかし、それは彼が母親から受け継いだ祈りの行為、神に捧げる愛の行いでもあった。そうした精神の事実も見過ごしてはならないと思いました。
特に今は、「レガシー」という言葉が流行ったりして、政治においても「年譜に残ること」だけが重要視される傾向がある。しかし、ガンディーがやったことは、それとまるで逆でした。
中島 ガンディーの研究者にも、「ガンディーの書いたものを読んでいるだけでは、ガンディーはわからない」と指摘している人がいます。そうではなく、ガンディーという人が民衆レベルでどのように想起されたのかを考えなくてはならないんだ、と。
そもそも、ガンディーを支持した人たちのほとんどは、字の読めない人たちでした。あとでまたお話しすることになると思いますが、インド独立に向けて大きな意味を持つことになった「塩の行進」のときも、人々はガンディーの書いたものを読んだから、言葉を耳にしたから従ったのではない。歩くガンディーの姿を一人ひとりが心に思い描いたからこそ、あれだけ多くの人を動かすことができたわけです。
若松 私も言葉を中心に活動している人間ですが、その一方で、言葉にすることで消えてしまう意味がある、と強く感じることもあります。より精確に言えば、言葉に「だけ」してしまうと消えてしまうものがあるということですね。
この対談でもずっとお話ししている、カタカナの「コトバ」──言葉を超えた意味の顕れ、あるいはその人の態度や存在そのものから伝わってくるもの──を伴わない言葉でだけ表現するということは、事実を曖昧にし、ごまかしが可能なかたちにしてしまうことでもある。
ガンディー
1869-1948。インド独立運動の指導者。グジャラート出身の弁護士、宗教家、政治家。「マハートマー」(偉大なる魂)と呼ばれている。第一次世界大戦後、イギリスからの独立運動を開始、国民会議派を率いる。「非暴力、不服従」を提唱。1947年のインド・パキスタンの分離独立後、48年にヒンドゥー過激派の青年に暗殺された。

エマソン
1803~1882。アメリカの詩人・思想家。ボストンに生まれ、ハーバード大学から神学部大学院を卒業。牧師となったが、聖職者をやめヨーロッパへ渡航。帰国後、人間は自然に従って生きるべきであるとする超越主義哲学を打ち出す。ソローの師としても有名。

ソロー
1817~1862。アメリカの思想家・随筆家。エマソンの影響を受け、その超越主義哲学を実践するために自給自足の生活を送った。著作に「森の生活」「市民の反抗」などがある。

バガヴァッド・ギーター
インドのヒンドゥー教の最も有名な聖典。略して『ギーター』ともいう。1世紀ころに成立か。大叙事詩『マハーバーラタ』第6巻に編入されている。

内村鑑三
1861~1930年。キリスト教指導者。足尾銅山鉱毒事件に関して実態を訴え、第一高等中学の教師のとき、教育勅語への敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。『代表的日本人』『後世への最大遺物』などの著作がある。
