水晶のように美しいインド洋の二つの島を旅した。
セーシェルとモーリシャス。
アメリカやヨーロッパなどから多数の富裕層がバカンスに訪れる「地上の楽園」には、故郷の島を追われ、悲しみに満ちた人々が暮らしている。
米軍が中東などへの出撃拠点として使用している、インド洋のチャゴス諸島(英領インド洋地域)の元島民たちだ。
基地の建設を目的に島外への移住を余儀なくされ、今も故郷に戻れない。
2015年2月、最初に訪れたのはセーシェルだった。
アフリカ大陸とモルジブ諸島のほぼ中間に位置し、「インド洋の真珠」とうたわれる115の島々からなる熱帯の群島。首都ビクトリアにはロンドンのビック・ベンを思わせる古い時計塔や教会が立ち並び、新鮮な海産物を提供する市場近くの食堂で、「セーシェル・チャゴス人委員会」で議長を務めるギルバート・ジェドロンが私の到着を待っていた。
「日本人にとってチャゴスを理解することはそれほど難しくはないはずよ」とギルバートに付き添ってきた元島民の一人が最初に言った。「だって、日本にはオキナワがあるでしょ。我々の問題は、オキナワのそれと極めて似ているわ」
彼女たちの故郷であるチャゴスは、大小60以上の環礁や小さな島々からなる諸島だ。16世紀にポルトガルによって「発見」された後、1814年にはイギリスの保護領になり、英領モーリシャスの一部として統治された。
ところが第二次世界大戦が終わり、東西冷戦の高まりに応じて1965年、モーリシャスから分離されて「英領インド洋地域」に編入されると、翌1966年にはアメリカとの防衛協力の一環で、諸島最大のディエゴガルシア島がアメリカに50年間貸与されてしまう。約1500人の島民たちは、チャゴスから遠く離れたセーシェルやモーリシャスなどへと強制的に移住させられることになってしまった。
60歳のジョジェット・ナヤは、16歳までディエゴガルシア島で暮らした。
「島民全員がまるで一つの家族のようだったの。おなかが空いたらヤシの実を食べ、友人と砂浜で歌いながら夜更けまで過ごした。まるでおとぎ話に出てくる天国のような島だったわ」
1971年のある日、セーシェル出身で役場勤務の父から突然、「島を追い出されることになった。セーシェルに行く」と告げられ、夜通し泣いたという。
小さな船に3日乗ってセーシェルに着いた後、一家7人は叔母の家の小さな部屋で暮らした。仕事が見つからず、長らく父の日雇いで食いつないだ。
ジョジェットは縫製の仕事をしながら夜学に通い、娘や息子を育てた。今も子どもや孫たちにかつての島の記憶を語って聞かせる。
「あなたたちの故郷はチャゴス。世界で一番美しい島。いつか、子や孫にその美しい風景を見せてあげてほしい」
涙を流すジョジェットの肩を、リーダーのギルバートが抱きしめる。
「当時、セーシェルには約500人が強制移住をさせられたとみられています。移住者の多くが老齢にさしかかる中で、誰もが『魂の帰る場所』を求めている。私たちにとってそれは、間違いなくあの透き通った海に浮かぶチャゴスなのです」
翌月、私はモーリシャスを訪れた。
ヨーロッパの富裕層が憧れる世界トップクラスのリゾートアイランドだけあって、ビーチ沿いにはいくつものマリンスポーツ施設やゴルフコースを併設したリゾートホテルが広がり、アメリカのハワイさながらにブランドもののバッグを持った富裕層の白人女性たちが華麗にバカンスを満喫していた。
そんな街の一角で、いささか周囲の雰囲気とは不似合いな会合が開かれていた。
チャゴスからモーリシャスに強制移住をさせられてきた元島民らの集会だ。
「チャゴスに帰りたい人は手を挙げて!」
「チャゴス難民グループ」の代表・オリビエ・バンコーが声高に呼びかけると、広場に集まった約300人の元島民たちが一斉に手を挙げた。
オリビエが満足そうに頷いて言う。「そうだよね、みんな戻りたいに決まっているよね。チャゴスより美しい島は世界に存在しない。俺たちは世界で一番美しい海と、その海に沈む夕日を誰よりも知っている人間なんだから」
チャゴスの元島民たちは長年、イギリス政府が島での居住を禁止した措置は違法だとして裁判所などで争ってきた。英高等法院が2006年、帰島を禁じるイギリス政府の措置は違法であるとの判断を下したため、元島民たちの帰島への期待は一気に膨らんだものの、最高裁にあたる上院上訴委員会は2008年、措置は適法とする逆転判決を下してしまう。
他方、そんな裁判所の理不尽な判断を知った世界各国の人々が「チャゴスの人々の帰島を認めるべきではないか」との声を上げ始める。米軍へのディエゴガルシア島の貸与期間は2016年が期限とされるなか、チャゴス諸島の行政府は2014年、国際会計監査グループに帰島の実現性に関する調査報告を依頼。その報告書が2015年2月に発表されると、元島民たちの間には再び「我々は帰島できるのではないか」との期待が高まった。
報告書は帰還の可否についての結論は出していないものの、「再定住を妨げる基本的な法律に関する障害はない」と言及し、(1)大規模な再定住(約1500人)、(2)中規模な再定住(約500人)、(3)試験的で小規模な再定住(約150人)の三つのケースを示したうえで、それぞれ約750億円、約200億円、約110億円の費用がかかると試算していた。
オリビエは興奮気味に元島民らに語り掛けた。
「多少のお金はかかるものの、帰島は現実的には可能なわけだ。最初はわずかな島民でもいいので、島に戻してほしい。このまま誰も住めないと、島の文化や風習が完全に失われてしまう」
集会の後、90歳のリタ・バンコーが、海辺を歩きながらチャゴスでの思い出を振り返ってくれた。
ペロスバノス群島で夫や6人の子どもと一緒に暮らした。1967年、3歳の娘がロバの荷車にひかれて重傷になり、モーリシャスの病院を紹介されて一家で年4便しかないモーリシャス行きの船に乗った。病院に着いた時には娘は手遅れで、1カ月後に亡くなった。
島に戻る船を待ったが、船会社から「チャゴス諸島はアメリカに売られた。もう島には戻れない」と言われ、仕方なく親類の家に身を寄せた。夫は移住から5年後に他界し、息子3人も仕事がなく、アルコール依存症などで若くして亡くなった。
リタは今、モーリシャスの首都ポートルイス郊外の粗末な家で暮らす。