初めて見る銃創、爆傷に立ち向かう
イエメン南部の港町、アデン(2018年9月、ロイター通信)
到着したアデンのMSF病院は、2階に海外派遣スタッフの宿舎を設けていた。過去2回の派遣では、徒歩圏内ではあるが病院と宿舎が離れていたので、移動の間に仕事からのマインドリセットができた。ここでは仕事とプライベートが同じ空間でそれができず、精神的に窮屈になるかもしれないと不安に思ったが、移動がいらない環境には、かえって初日から感謝することになった。
到着早々、度肝を抜かれた。来る患者、来る患者が、身体のどこかしらから血を流し、カルテには「銃撃」「爆弾」「空爆」のいずれかばかりが被害原因として書かれている。バスに乗っていただけで銃撃戦に巻き込まれた運転手と乗客たち。マーケットで、警察と市民の間の暴動の巻き添えになっ/たという買い物客たち。病院の外ではあちこちで衝突が起きているのが目に浮かぶようだった。
「罪のない人たちがどうして?」
「同じ人間なのになぜ傷つけるの?」
そんなことを考えている暇はない。外科チームの一員として、初めて顔を合わせるスタッフたちとともに手術に取り組んだ。銃創など見たことがない。まして、爆発で吹き飛ばされ、もはや人間の形をとどめていないような患者なんてなおさらだ。どこから、どのようにして治療を進めていくのだろうか。私がパニックを起こしてはいけない。チームに絶対に迷惑をかけないよう、必死だった。
緊急案件が連日続く中では、病院内に住んでいるということには、いくつかの利点があった。ただちに治療に取りかからなくてはならない患者さんの元へ短時間で駆け付けられる。少し休憩を取りたい時にはすぐに自分の部屋に戻れるという環境も非常にありがたかった。何より、このように治安が不安定な場所で最大のリスク要因は移動である。移動がないことが安全に繋がるのだ。
仕事場には、「セーフルーム」と呼ばれる場所もあった。MSFの活動現場には、何かあった時に安全を求めてみんなが駆け込む場所が必ず設けられている。アデンの病院では、銃撃戦の音が聞こえる時にはセーフルームに避難してやり過ごした。このような場合には必ず、ロジスティシャン、もしくはチームリーダーが指揮をとって全員の所在と安全を確かめる。2階の宿舎で過ごしている場合は、どんなに眠くても疲れていても、指示に従って自分の部屋を出てセーフルームに移動しなくてはならない。
終わりの見えない手術が続く
アデンからそう遠くないところにアビヤン州という地域がある。州都ジンジバールは、当時イエメン内政が混乱する間に勢力を伸ばした過激派武装グループ「アラビア半島のアルカイダ」によって占拠されていた。この都市を奪還しようとする政府軍が攻撃を繰り返し、これに対する武装勢力からの報復と思われる暗殺やテロ行為もイエメン南部では頻発していた。
その被害者たちが続々と病院に運ばれてくる。
ある時には、大規模な自爆テロによって、50人近くの重傷者が出て救急室が埋め尽くされたことがあり、3日間ほど全く眠らずに手術を続けた。負傷して運び込まれた兵士の身柄を差し出すよう、対立する軍に要求されたこともあった。
また、病院で連日収容していた怪我人の中には、そこから50キロメートルほど離れた山岳地帯の一般市民が数多くいた。それも尋常ではない怪我を負っている。
実は、このころのイエメンでは、内紛とは別に、「対テロ戦争」を宣言したある第三国の軍隊が軍事行動を起こしていた。攻撃型のドローン(無人機)を使って、アルカイダが潜伏するといわれる山岳地帯を空爆していたのだ。山岳周辺にもともと住んでいた市民は、このドローン攻撃に巻き込まれて運ばれてきていたのだった。
シャワーと爆音とシャンプー
ある日、ふと手術が途切れたことがあった。
この時、私は心に決めていた。今日こそはゆっくりとシャワーを浴び、頭のてっぺんからつま先までゴシゴシ洗う。
緊急手術の合間には、シャワーを浴びるか仮眠をとるか、という二者択一を何度か重ねた結果、真夏だというのに私は何日かシャワーを浴びずに仕事を続けることになってしまっていて、気持ちが悪くて仕方がなかった。シャワーを諦めて仮眠を選んでも、眠りについた途端に緊急で呼びだされ、いったん呼ばれると次にいつ休めるかが分からない。その繰り返しだった。
立ちっぱなしの足はパンパンになり、その日は立っていることもできず、冷たいタイルの上に座り込んで、高さ調節のできない水シャワーが高い位置から降り注いでくる中、頭をゴシゴシと洗い始めた。
その時だった。凄まじい爆音が聞こえてきた。疲れ切っていた身体が、最後の力を振り絞ってアドレナリンを分泌したのだろうか、私は反射的に立ち上がった。銃撃の音や、空爆の振動が伝わってくるのはよくあることだったが、今のような爆音がここまで近くから聞こえてくることなどなかった。
しかしその後、私は再びシャワー室に座り込んでしまった。アドレナリンが続かなかったのか、どうでもよくなってしまったのか。遠くなりそうな意識の中で、相変わらず降り注いでくるシャワーを浴びながら、今のは花火の音に違いない、と自分に思いこませた。そして私は再び何事もなかったかのように頭を洗い始めた。とにかくシャンプーを終わらせたかった。すると今度は、シャワー室の窓からタイヤの焦げたような臭いが入り込んできた。
そこで我に返った。ロジスティシャンかチームリーダーが、避難するようにと私の部屋のドアを叩いているかもしれない。または今の爆発による救急患者の受け入れ準備をするよう、携帯が鳴っているかもしれない。パッとシャワー室を去り、5分後には手術室に立っていた。
辛い、疲れた、寝たい。
こんな日々が続いた。
妙な形のシーツと出合う
ようやくその日の仕事が終わり、ベッドに身体を投げ出そうという時だった。ベッドに掛けられたシーツを見てふと気になった。イエメンは真夏だったため、掛け布団は用意されておらず、身体に掛けるものはシーツ1枚で十分だった。そのシーツが、少し面白い形でベッドの上に掛けられていたのだ。
「なぜこんな形になっているのだろう」
そう思いながらも、この時はあまりの疲労に寝てしまい、すぐに忘れてしまった。
ロジスティシャン
医療に関わらない技術系のMSFスタッフ。

湾岸協力理事会
イラン・イラク戦争を機に、1981年5月、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンが設立した機関。Gulf Cooperation Council : GCC。

