「現地ではどんな生活をしているのですか?」が謎だった
「国境なき医師団(MSF)」がこれまで数多く発信してきた記事は、現地での活動にフォーカスしたものが多い。確かに私としても、現地の話をするのであれば、できる限り医療活動そのものを伝えたいというのが本音だ。病院で出会った患者さんのエピソードや、医療にアクセスできない人々を取り巻く状況など、発信したいことは無限にあり、たとえ1時間の取材や講演であっても全ては伝えきれない。質問も医療活動そのものについてであれば迷いなく答える。
しかし、実は世間の人々は、医療活動以外にも大いに興味があるらしく、例えば「現地ではどんな生活をしているのですか?」などと質問されることがよくある。ところが私のような派遣スタッフにとって、活動中の自分たちの生活など、世間に伝えたいことリストの中にはまず入っていない。ましてや、世間がそこに関心があるなどとはそもそも思っていない。そのため、この(意表を突く)質問への答えとしては、「うーん……生活ですか……。とりあえず行ってみて、与えられた場所で適当に暮らしています」などと絞り出すのが関の山。もし食事の事を聞かれたら、「まぁ、現地にあるものを食べてますよ」と、こんな感じだろうか。
私たちとしては、この答えに「食べ物はちゃんとあるので大丈夫です、心配はいりません」という意味を込めており、十分に相手が求める答えを提供しているつもりである。しかし最近になってようやく気づいたのだが、質問する側は、実は全く得たい情報を得られていないようなのだ。
彼らが本当に知りたいのは、私たちが食事をしているのか、していないのかではない。
「食料はどのように手に入れているのか」「実際に食べ物は十分にあるのか」「まさか自給自足をしているのか」「野菜はあるのか」「肉は」「主食は」「お米は」「調理場はあるのか」
などなど。とにかく日本での“当たり前”があるのかないのかを知りたがっているのだ。
「現地では食事はどうしているのですか?」という質問は、このトピックについて私たちから多くを引き出したい、という期待が込められた問いかけなのだが、質問される側にはそれが伝わっていないのだった。
食事の一例。イエメンで食べたランチ
“想像しがたい世界”のリアルを知りたい
なぜこのギャップが生まれてしまうのか。MSFの海外派遣スタッフはその都度与えられた環境に適応せざるを得ない。そしてそこに身を置きながら、気持ちを集中すべきは医療の提供であるため、それ以外のこと、現地で何を食べてどう過ごしたかなどというのは正直言って“どうでもいいこと”なのである。
しかし、世間の人々にとって紛争地とは、本やテレビの中の世界でしかない。食事を例にとるなら地べたで火をおこして、取ってきた雑草を混ぜて飯盒でご飯を炊くのだとか、もしくはパックになったいわゆるミリタリー食や宇宙食のようなものが支給されてそれを食べているのだとか、あるいは何も手に入らなくて飢えるほどにひもじいがそれも試練なのだとか、そんなイメージまで抱かせてしまうほどに“想像しがたい世界”だった。だからこそ、私たちがどのように生活をしているのかに興味津々なのだ。
「そうそう、だからそれを知りたくて、前から何度も聞いているのに」という声が聞こえてきそうだ。
医療スタッフが紛争地に行ける訳
ところで私はこの記事を「ロジスティシャン」たちに叱られそうだと思いながら書いている。彼らはチームの中に必ず存在する非医療系のスタッフで、医療者が安心して仕事に集中できるよう、仕事から帰った時に休める家、食料、水、ベッドにシーツやタオルといった物資などの手配・調達をしてくれる。彼らには医療現場を整備する面でも多岐にわたる業務が課せられているが、もっとも重要な仕事はチームの生活の基盤を整えることである。先に、現地で何を食べてどう過ごしたかなどというのは「どうでもいいこと」であるなどと述べてしまったが、それは、ロジスティシャンたちの並々ならぬ尽力があってこそ。どこであろうと、現地に行けば、必ず彼らが、私たちが最低限暮らしていける程度には生活の基盤を整えてくれていることが分かっているから言えるのである。
さて、今回は世間の皆さまの気になる、私たちの現地での生活環境についてお伝えしよう。宿舎や“寝床”についての話はどうだろうか。安心して睡眠をとれるスペースがあるかどうかは、心身にも仕事にも大きく影響する。MSFが活動する現場の総数は2019年現在で400を超えているため、私のたった17回の派遣で総論は語れないが、それでもそこそこバラエティに富んだ寝床を経験したのではないかと思っている。
青空と寝床
『紛争地の看護師』表紙(左)と、裏表紙(右)
まず、私の著書『紛争地の看護師』(2018年、小学館)の表紙を見て、多くの人が、一体これは何の写真なのかと思ったのではないだろうか。ベッドとスーツケースと、ハンガーに吊られた洋服が、青空の下の屋上に写っている。裏表紙はというと、ベランダにいくつかのマットレスが敷いてある写真。あれこそがまさに私たちの“寝床”で、私自身はベランダの方で寝ていた。そのことを知った人たちには大変驚かれる。やはり紛争地での生活は過酷なのだと思われたようである。
この寝床写真は2012年のシリア派遣の時のもの。内戦勃発直後、緊急にオープンした活動拠点だということは出発前から分かっていた。市民の救命を優先に、他の細かな整備は「とりあえず」となり、スタッフの生活の場は病院内の空きスペースで間に合わせていたようで、私が到着した日も「適当に空いているところを見つけてそこで寝て」と言われた。