現在、新型コロナウイルス感染の拡大により、日本各地で医療現場が圧迫されている。一つはマスクや防護服の不足により、感染管理が危機にあるということだ。今までの日本の病院ならば、マスクなど、病院内のあちこちに箱ごとおいてあるのが当たり前。なくなれば物資を保管する倉庫にいけばいつでも豊富な医療物資があった。マスクを減菌して再利用しなければならない、などということはありえなかった。今まで気にも留めていなかった、当然のように使い捨てにしていた物資でさえも、実は医療を支える大きな柱であったことを実感させられている。
今回は、国境なき医師団(MSF)における非医療系のスタッフたちについて知ってほしいと思っている。情報収集から病院の設営、医療物資の輸送、生活必需品の手配など、医療以外のすべてを一手に引き受けてくれる彼ら「ロジスティシャン」は、私たち医療スタッフが安全に、スムーズに医療活動に臨むために、なくてはならない存在なのだ。
※MSFで活躍するロジスティシャンは、全体的な業務を広く担当する「ジェネラル・ロジスティシャン」、物資調達を担当する「サプライ・ロジスティシャン」、そして建築、車両、建設、電気、医療機器、水・衛生管理をそれぞれ担当する、各「スペシャリスト・ロジスティシャン」に分かれる。MSFの医療援助の現場では、全スタッフのうち、実に4割ほどをロジスティシャンが占めている。現在MSF日本には、約30人のロジスティシャンが登録している。詳しくはこちら。
ネパール大震災直後、MFSから物資が届く
カトマンズ国際空港で
貨物機のドアが開き、機内からこぼれてくる光が、駐機場を照らす航空灯の淡い光に重なって漆黒の背景に映える。陽がとうに沈んだカトマンズ国際空港。2015年4月25日に発生したネパール大地震の緊急援助のためにMSFが手配した貨物機の第1便が到着した。命を救う物資が次々と降ろされてくる。5年前、ちょうど日本のゴールデンウイークに差し掛かる時期である。
フランスのボルドー国際空港近隣に、MSFの物流センター「MSF ロジスティック」がある。テントや薬品、医療機器に生活物資など、センターで保管している物資の品目リストは2万点に及び、すべての品が通関手続き済みであるため、緊急時には100万トン規模の物資を24時間以内に送ることも可能だ。ネパールへの物資もここから出荷された。
ネパールへ、そして震源地の山岳地帯へ
ネパール大地震はマグニチュード7.8、震源は首都カトマンズから北西77キロ地点、深さ15キロだった。カトマンズや周辺地域では地割れが発生し、仏塔などの歴史的建造物を含む多くの建物が倒壊した。山岳地域では、地震による雪崩が登山者らを襲い、地すべりで村落が孤立。死者約9000人、負傷者約2万人という、甚大な被害を出した。
MSFは緊急で医療援助チームを結成し、私もメンバーの1人に加わった。このような大きな震災が発生すると、家屋の倒壊などにより手足を骨折したり負傷したりして、外科的治療を必要とする人々が続出する。また身体の一部が圧迫され続けたあと、その解放後に挫滅症候群(クラッシュ症候群とも)を起こして大量輸液を必要とするケースもある。このほか、避難所の衛生上の問題や劣悪環境が引き起こす下痢や呼吸器疾患にも警戒し、はしかや破傷風などの感染症にも気を配っていく必要がある。既存の医療機関の機能不全も予測されるため、いち早い緊急医療援助は必須だ。
手配されたフライトでさっそくネパールに向かった。カトマンズ国際空港は大地震発生後の混乱でパンク状態となり、カトマンズ行きの多くの国際便が遅延、欠航したり、引き返したりしていた。幸い私が搭乗した飛行機にそのような事は起こらなかったが、空港では入国手続きが滞っており、到着ロビーから続く廊下では、援助のために駆けつけたと思われる大勢の人々が立ち往生し、中には座り込んでしまっているグループも目にした。
それでもMSFの事前の手配によってか、思ったよりスムーズに空港を抜けることができた。まずチームが集められたのは、カトマンズ市内にある観光用のホテルだった。このホテルも地震により建物が部分崩壊していた。この時、各国から招集されたMSF医療チームの構成は、外科医、麻酔科医、救急専門医、救急専門看護師、病棟看護師、手術室看護師、助産師、薬剤師、検査技師など十数名、その他に医療コーディネーターと医療チームリーダーである。私は手術室看護師として招集されていた。私たち医療メンバーは、今すぐにでも援助活動に取り掛かるべく士気高揚していた。
しかし、このような緊急時であっても医療活動を始める前にするべきことは、まずは現状の把握と評価である。カトマンズには、MSFの他にも世界中から官民の救援チームが集まってきていた。今、何よりも重要なのは、どこからも援助が届いていない地域や、援助がいきわたっていない人びとのもとへ援助を届けることだ。そのためには情報収集がキーとなる。MSFも、活動責任者やロジスティシャンが中心となって、ネパール政府やほかの機関から情報を集めることから始めたが、それだけで全容を把握することは困難だった。特に最も被害が大きかった震源地周辺の山岳地帯からの情報がなかなか入ってこない。しかし事態は一刻を争うため、MSFはヘリコプターを使って独自に調査を行い、孤立してしまったある山岳の村、アルガトを活動拠点にすることを決めた。アルガトは、震源地となったネパール中部ゴルカ郡にある小さな村落で、カトマンズから北西約70キロに位置する。その山岳では唯一の医療機関が全壊してしまったようだった。アルガトでは、野外での外科病院を設営することになった。
被災地へ向かう第一陣はロジスティシャン
とにかく被害者のもとへ、と前のめりになっている医療チームを差しおき、まず現地への出発の指示が下ったのはロジスティックチームだった。カトマンズのホテルには、他の支援団体や報道陣とみられる人々も集まっていて、ロビーにも、廊下にも、レストランにもせわしなく人が出入りしていた。誰がMSFのメンバーなのかが掴みにくく、いったい何人、MSFのロジスティシャンが集められているのかも分からなかった。私は迷子になったり情報を聞き逃したりしないよう、常に顔見知りの医療者仲間のそばを離れないように過ごした。
数日後、私たち医療チームにも出発指示が出され、ついにアルガトに向かうことになった。7時間も続く、息をのむほどに美しいヒマラヤ山脈の絶景ドライブでは、同時にもろくも崩壊したレンガ造りの家屋をいくつも目にした。また土砂崩れや地滑りなどによる道路の封鎖に何度か行く手をふさがれ、今回の地震の被害の大きさを改めて見せつけられた。