アラビア半島の南西端,アデン湾と紅海に面し,北はサウジアラビア,東はオマーンと接する。西部は標高2000~3000mの高原地帯で温暖多雨だが南部はほとんど砂漠気候。
16世紀オスマン・トルコが支配。旧北イエメンでは第一次世界大戦でトルコが敗北したのを機に1918年イエメン王国が誕生。47年国連に加盟。62年軍事クーデターで国王は追放されイエメン・アラブ共和国が成立した。旧南イエメンは1839年英直轄植民地となったが,1967年南イエメン人民共和国として独立,69年共産政権樹立に伴いイエメン民主人民共和国に。79年3月南北イエメンの結合をめざしたアデン協定締結。両国は90年5月正式に統一,初代大統領に北イエメンのサレハが就任した。91年5月新憲法制定。93年4月統一後初の総選挙が行われ,3党連立内閣が発足したが,北主導に南が反発し,94年5月内戦に突入。7月北軍がアデンを制圧し内戦は終結した。99年9月初の大統領直接選挙でサレハ大統領再選。2000年10月アデンで給油中の米海軍駆逐艦に対する自爆テロにより米兵17人が死亡,37人が負傷した。06年9月サレハ大統領3選。11年1月,1978年から30年以上政権の座にあるサレハ大統領の退陣を求める反政府デモが頻発,11年3月には首都サヌアで治安部隊の発砲により50人以上が死亡。抗議行動は全土に拡大,非常事態宣言が発令され,反体制派と政府側との間で戦闘状態となり,6月にはサレハ大統領に対する爆弾テロが発生,大統領は治療のため出国した。9月サレハ大統領は帰国,11月に辞任に同意。12年2月の大統領選挙でハディ副大統領が大統領に選出された。
[国正式名称]イエメン共和国
[国正式名称欧文]Republic of Yemen (YEM)
[人口]2480万人(11年)
[面積]52.80万km2(日本の約1.4倍)
[首都]サヌア
[政体]共和制
[憲法]1991年5月16日制定
[議会]1院制(議席数301,任期6年)
[政党]国民全体会議,イエメン改革党,イエメン社会党など
[元首]アブドラボ・マンスール・ハディ(Abd-Rabbo Mansur HADI)暫定大統領
[首相]アフマド・ブン・ダグル(Ahmed OBEID BIN DAGHR)
[言語]アラビア語
[民族(住民)]アラブ人,少数のインド系住民
[宗教]イスラム教(北部にシーア派系ザイド派,南部にスンニ派系シャーフィー派)
[通貨]イエメン・リアル
[為替レート]218.750イエメン・リアル/ドル(12年初)
[国民総所得(GNI)]281億ドル(10年)
[1人当たり国民総所得(GNI)]1170ドル(10年)
[主な産業]農業,漁業,石油
[主な資源]石油,岩塩
[輸入額]97億0000万ドル(10年)
[輸出額]87億0000万ドル(10年)
[二酸化炭素排出量]1.0t/人(08年)
[移動電話加入者数]46.09人/百人(10年)
[インターネット普及率]12.35%(10年)
[自動車台数]66万7000台(11年)
[成人識字率]62.4%(05-10年)
[国民1万人当たりの医師数]2.2人
[乳幼児死亡率]66人/千人(09年)
[出生時平均余命]65.5年(11年)
[出生率]38人/千人(10年)
[死亡率]6人/千人(10年)
[在留邦人数]41人(05年)
[現地日系法人数]2社(05年)
[日本への輸出]3.2億ドル(09年)
[日本からの輸入]1.8億ドル(09年)