「俺は嫌だよ。レイシスト(人種差別主義者)だけが暮らす町なんて、まっぴらごめんだよ」
私が取材の趣旨を説明すると、ヨハネスブルク支局で働く黒人助手のフレディは露骨に取材出張への同行を嫌がった。好奇心旺盛な彼にしては珍しく、頑なな態度だった。
取材の訪問先は、南アフリカの中部にある「オラニア」――南アフリカでは有名な、白人だけが暮らす町である。
「なんでそんな所に行かなきゃいけないんだよ」とフレディは顔をしかめながら罵倒した。「世界で最も『チーズくさい』(白人を揶揄する際に使われる表現)町だぜ」
2015年2月、日本のある全国紙に一編のコラムが掲載された。筆者は作家の曽野綾子で、記事には「『適度な距離』保ち受け入れを」という見出しが添えられていた。
〈もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに1軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来(じらい)、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」〉(2015年2月11日、産経新聞)
かつて南アフリカが国策として実施していたアパルトヘイト(人種隔離政策)を追従するような論調に、国内外から抗議が噴出していた。英ロイター通信は曽野が教育再生実行会議に加わっていた安倍晋三の「ブレーン」だったことを挙げ、「政府のブレーン、アパルトヘイトを賛美し、首相に恥をかかせる」と報じ、産経新聞は南アフリカの駐日大使からの抗議を受けて釈明のコメントまで出していた。
私が驚いたのは、コラムの筆者が他でもない、曽野だったことである。彼女はアフリカの東南に浮かぶ島マダガスカルに派遣された日本人修道女の姿を描いた『時の止まった赤ん坊』(新潮文庫)を著すなど、日本の文壇では数少ない、アフリカをよく知る作家の一人として知られていた。
そんな彼女がなぜ、このようなコラムを綴ったのか――。
私は自分の考えを整理する前に、実際に黒人を事実上「排除」し、白人だけで暮らしているオラニアの人々の言い分を聞いてみたいと思ったのである。
その小さな「町」は南アフリカ中部の北ケープ州にあった。
ダイヤモンドの産出で有名なキンバリーから半砂漠地帯を四輪駆動車で約1時間走ると、突然、道路標識が読めなくなった。
南アフリカで暮らすオランダ系白人アフリカーナーが作り上げたオラニアでは、道路標識もスーパーの商品も、すべてが彼らの「公用語」アフリカーンスで記されている。
「ようこそ、オラニアへ」
町の入り口にあるショッピングセンターに車を停めると、事前に町の案内を頼んでいた白人青年が、嫌々取材について来てくれた黒人助手のフレディと私を交互に見比べた。にこやかに私の手を握り、私だけに向かって挨拶をする。
「外国メディアの取材は年に十数件あります。色々質問を受けますが、私たちは私たちの実践している暮らしをそのままお伝えするだけなので、何ら葛藤は覚えていません。もちろん、アフリカ大陸のよその国からも『黒人』のレポーターが来ますが、まあ、やはり欧州から取材に来る『白人』のリポーターのほうが圧倒的に多いですね」
白人青年は南アフリカであればどこにでもいそうなさわやかな好青年だったが、返答の中であえて「黒人」という言葉を強調したあたりで、取材助手のフレディはもううんざりといった表情だった。
町中には小さな博物館が設置されており、私とフレディは館内で放映されているプロモーションビデオを見ながら、白人青年からオラニアの「素晴らしさ」についてのレクチャーを受けた。
一連の説明によると、オラニアは1991年、アパルトヘイトが廃止され、黒人政権が誕生するのを前に、「国家が奪われる」と危機感を深めたオランダ系白人を中心に、わずか500ヘクタールの宅地と2500ヘクタールの農地を確保するところから始まったらしい。「平和に暮らしたい」という住民の「純粋な想い」から毎年10%ずつ住民が増え続けており、現在の人口は約1000人。約8000ヘクタールに膨れあがった町内には広大な農場はもちろん、自前の役場や学校、乗馬を楽しむ馬場のほか、小さな空港も設置されているという。
「オラニアのすごいところは、独自の『通貨』と『国旗』を持っていることです」と白人青年は誇らしげに言った。「国家として独立してはいないけれど、ここでは国家と変わらない生活が営めるのです」
「白人と黒人が分かれて住むことのメリットはなんですか?」と私は取材者として端的に尋ねた。
「最大の利点は治安です」と白人青年は言った。「南アフリカ国内では年に約1万7000件の殺人事件が起きていますが、この町では殺人事件はおろか、事件らしい事件がほとんど起きないのです」
白人青年が言うように、確かに敷地内には美しい町並みが広がっていた。綺麗に整備された麦畑の横には乗馬のコースがあり、金髪の少女が父親から馬の乗り方を真剣な目つきで教わっている。