和男くん、成人おめでとう。毎日顔を合わせている者同士が、こうして改まってあいさつするのも、ちょっとことごとしい気もするけれど、長い人生において、今日という日は、大きな節目の一つと思います。
おふくろは昨日のままのおふくろだし、おやじもまた、昨日のままのおやじ、妹の敏子も昨日のままの敏子だが、きみだけがわが家では昨夜までのきみとは違うというのは、いささか理不尽なようでもあるが、この節目には、七・五・三や誕生祝いとは違った意味合いがある。そこのところに注意してほしい。
いうまでもなく、きみは、今日からは社会的にもりっぱな成人として扱われることになるわけです。一人前の成人として、自分の権利を行使できるが、同時に社会に対しての義務と責任を負うことになります。幸い、そうした心配もなしにやってこられたけれど、かりに昨日までなら、おやじやおふくろがとることのできた過失責任も、今日からはきみ自身が負わなければならなくなったわけです。
いつかきみは、おやじがハンドルを握る車なんかに、かったるくて乗っちゃいられないよなんて、冗談をいっていたけれど、これからは、もしきみが大きな事故を起こして裁判なんてことになったら、会社に対しても、わが家にも、たいへんな迷惑をかけることになる。ことによったら、迷惑なんてものではすまないことにもなりかねない。自然、運転は慎重になり、スピードの出し過ぎや、無防な運転は差し控えなければならない。
義務と責任なんて、今までは言葉でしかなかったものが、これからは避けて通れないものとなったこと、このことを成人の日の節目として、拳拳服膺(けんけんふくよう)してほしいと切に思うわけです。
お母さんも、敏子も、もちろんきみがこれをやりこなしていけることを信じていると思います。
堅苦しい話はこれまで、さあ、わが家のご長男の成人を祝して、乾杯。