先生、今日は遠いところを同級会にご出席くださいまして、ありがとうございます。覚えていらっしゃいますか。杉田正人です。
ひとえにぼくの怠惰のために音信不通(おんしんふつう)で、こうした会にも出席できませんでしたが、たまたま3か月ほど前、今度いっしょに幹事役をつとめている佐藤美子さんと行き会い、今日までの欠席ばかりだった罰として、この会の世話役をおおせつかったしだいであります。
それというのも、彼女にいわせれば、大山先生にいちばん怒られたのはぼくだそうで、つまり、先生をいちばんてこずらせた生徒だったというのです。今回はぜひ、そのおわびの意味を兼ねて、この役を引き受けよとのことでした。
いわれてみれば、生意気ざかりのクラスの担任として、学校を出たてのういういしい「女先生」の大山先生が赴任してこられたのですから、悪童どものかっこうのえじきとなられたわけで、佐藤美子さんがいうように、ぼく1人がその責を負わされることもないのではないかなと、ひと言弁解させていただきたいところです。
その昔、唐の郭翰(かくかん)という者がある暑苦しい夏の夜、家の庭先で夜空を仰ぎみながら寝ていたら、空からひらひら舞い下りてくる者がいて、私は織女だといったそうです。郭翰が織女のまとっている衣を見ると、その衣には縫い目がないので、そのわけを問うと、天人の衣服をつくるには針など使わないのですと答えたといいます。
これを「天衣無縫(てんいむほう)」というのだそうですが、大山先生は文字どおり、この「天衣無縫」のような人でした。明るく、とりつくろわず、人工的な言動のかけらもない天真爛漫(てんしんらんまん)さに、ぼくたちはまたたく間に圧倒されてしまいました。
そして、ぼくたちの悪童精神と大山先生のおおらかでくったくのない人柄が結びついて、2年B組のクラスカラーができあがりました。
今日、この会場に入ってくる諸君の声高な、明るい笑い声に、はっきりそのなごりを痛感いたしました。
こんなぼくたちを育ててくださった大山先生、ほんとうにありがとうございました。今日は存分に、ぼくたち悪童どもと、この会をお楽しみくださいますように。
簡単ではございますが、ごあいさつといたします。