雲や煙がたちまち目の前を過ぎ去って、心にはとどまらないように、物事に長く執着しないこと。また、物事にこだわらずにあっさりとしていることをさしていう。「雲烟過眼」とも書く。
『蘇軾(そしょく)―宝絵堂記』に、「譬二之烟雲之過レ眼、百鳥之感一レ耳、豈不二忻然接一レ之、然去而不二復念一也」とある。
〔例〕「すぐれた能力をもっていながら、地位や名誉などには雲煙過眼のじつにさわやかな青年です」とか、「失敗したからといって、いつまでもこだわっていることはありません。すべては雲煙過眼、くよくよしないほうがいいですよ」などのように使う。