家で飼う鶏と野に住むアヒルという意味から、家鶏のような身近にあるよいものを大切にしないで、野鶩のような珍しいものや新しいものを好むこと。家にあるよいものを捨てて、外にある悪いものを好むことをたとえていう。または、よいものと悪いものという意味。同じ意味で、「家鶏を厭(いと)い野雉(やち)を愛す」という言い方もある。
『蘇軾(そしょく)―書王子敬帖詩』に、「家鶏野鶩同登レ俎、春蚓秋蛇総入レ奩」とある。
〔例〕「毎晩、よくもあきないで飲み屋通いができることですね。きれいな娘さんに注いでもらうビールはさだめしおいしいことでしょうよ。男って、どうしてみんな家鶏野鶩なのかしら」というように使う。