中国の燕(えん)に住む田舎者が、趙(ちょう)の都邯鄲(かんたん)の人々の歩き方にあこがれてまねをしたが、だめであった上に、本来の自分の歩き方さえも忘れ、はらばって帰ったという故事から、自分の本分を忘れて他人をうらやんでまねをすると、どっちつかずになってしまうものだという戒め。『荘子(そうし)―秋水』の中にある言葉。「かんたんのあゆみ」とも読む。
〔例〕「最近のきみのバッティングフォームには乱れが見えるようだ。殿堂入りをした大打者を思い出させるようなフォームだが、きみはきみなりの独自のスタイルがあるはずだ。わき目をふらずきみの持ち味をこそ磨くべきじゃないかな。さもないと、邯鄲之歩になってしまうよ」などと使ったりする。