仏教の言葉。人の手を加えるということをせずに、おのずからの姿であること。また、その姿はそのまま法則にのっとっていること。真宗で、自力を捨てて如来の他力にすべてをまかせきった境界(きょうがい)をいう。「自然」は、本来の姿。「法爾」は、そのものの法則に従って、そのような姿であること。
〔例〕「受験勉強などは人間を型にはめるだけだ。もっと自然法爾の心を教えてほしい」といったり、「最近の自然保護のやり方は、どこかおかしい。保護といいながら、かえって自然破壊をしているところもある。だから、むやみと人間の手を加えないほうがいい。自然法爾、あるがままの姿に、そっとしておく。これが一番だ」などのように使ったりする。
〔類〕法爾自然(ほうにじねん)