「麦秀」は、麦の穂のこと。中国の殷の紂王が、諫(いさ)めを聞かずに国を滅ぼした後、その旧都の跡を通りかかった箕子が、そこら一帯に麦が穂をつけているのを見て昔をかえりみて悲しみ、「麦秀でて漸漸たり」という詩をつくって詠じたという故事から、転じて、亡国の嘆きをたとえていう言葉。
『史記(しき)―宋微子世家』に、「箕子朝レ周、過二故殷墟一、感三宮室毀壊生二禾黍一。箕子傷レ之、欲レ哭則不可、欲レ泣為其近二婦人一。乃作二麦秀之詩一、以歌二詠之一。其詩曰、麦秀漸漸兮、禾黍油油兮、彼狡僮兮、不二与レ我好一兮」と記されている。
〔例〕「東京の一面の焼野原を見て麦秀之嘆をおぼえた人は多かった」などのように使う。