君主の寵愛は気まぐれで頼みがたいということをたとえていう。中国の戦国時代、衛の国の弥子瑕(びしか)という若者が君主に仕えて寵愛を得ていたが、あるとき、母が病に倒れたため、ひそかに君主の車を盗み出して、それを使って母のもとへ行った。当時は、君主の車に乗った者は、「あしきり」の刑に処せられることになっていたが、弥子瑕の行為を知った君主は「弥子瑕は、刑を恐れずに孝養を尽くすほどのよい人物だ」とほめた。また、君主の供をして果樹園に出かけたおり、弥子瑕は、自分でかじった桃を君主に差し出すような無礼を働いたが、かえって「うまい桃を余にくれたのだ」といって、弥子瑕を君主はかばった。しかし、後になって、君主は弥子瑕への寵愛が薄れると、「あいつは、余の車に無断で乗ったり、自分の食べ残しの桃を余に与えた」などといってそしり、そのことを理由に弥子瑕は罪を受けたという『韓非子(かんぴし)―説難』にある故事による。「余桃」は、食べ残した桃という意味。
〔例〕「いくら社長のごきげんを取ったって、余桃之罪にされるのがおちですよ」などのように使う。