2001年11月14日、カタールの首都ドーハでのWTO(世界貿易機関)閣僚会議で発足が決まった多角的通商交渉。WTOではドーハ開発アジェンダ(Doha Development Agenda)とよび、日本ではドーハラウンドともよばれる。06年末とされた当初の合意期限は妥結に至らず、新たに設定された07年末までの合意も期限切れとなった後、08年末を目標とした交渉が進められた。交渉のヤマ場とみられた08年7月下旬のジュネーブでの閣僚会議では、ラミーWTO事務局長の調停案をベースとして交渉が進み、一時は大筋合意目前との観測も流れた。しかし、最終局面で、農産物にかかわる特別セーフガードをめぐり、アメリカと条件緩和を求めるインドが激しく対立、さらに中国がインド側に加わり、7月29日に交渉は決裂した。アメリカとインドの対立の背景には、アメリカ側が、インド、中国などが鉱工業製品のうち化学や工作機械などの産業分野の関税撤廃に消極的な点を問題視し、インドは、アメリカの農業補助金の削減で譲らなかったことがある。また、交渉を主導する少数国会合の構成国として、日、米、欧、オーストラリア、ブラジル、インドに中国が加わったことも、新興国の台頭と交渉力学の変化を象徴した点で注目される。なお、日本は農産物分野で、関税削減率を例外として小さくできる重要品目の数を原則全体の8%とする目標を立てたものの、「原則4%、条件付き6%」の事務局長提案が支持を集める中で孤立感を深め、全体会議のリーダーシップも発揮できなかった。この閣僚会議の決裂後も、交渉再開と妥結への道が探られたが、アメリカとインド、中国の対立は解けず、年内の大枠合意は断念されることとなった。