2002年に、小泉純一郎首相(当時)が東南アジア歴訪で打ち出した、東アジアの地域協力をめざす共同体構想の提案。当初の構想では、ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓3カ国)を中心とした完全経済同盟で、ベラ・バラッサ教授(Bela Balassa 1928~91)の定義では経済統合の最終段階を意味する。2005年12月に初めて開催された東アジアサミットでは、構成国に関して、従来のASEAN+3と、これにインド、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国を加える2通りの考え方が示された。後者は十分な議論がなされていないが、前者は、達成の道筋に、ASEANと3カ国が同時に協定を締結するものと、ASEANと日本、中国、韓国がそれぞれ別々に協定を締結し、全体が一つとなるものの、二つがある。問題は、日中、日韓の関係に政治的、歴史的な問題が横たわること、ASEAN内部にも対立があり、指導力を発揮する国がないことである。ASEANはAFTA(ASEAN自由貿易地域)を02年に完成、域内関税も06年1月には、原加盟国ですでに関税の3分の2が撤廃され、ベトナムの関税もほとんどが5%以下に引き下げられるなど、着実に実績を重ねている。日本は、06年4月にASEAN+3にインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた経済共同体となる東アジア経済連携協定構想を発表した。アジアでの多国籍企業のバリューチェーン・マネジメントに影響し、その経営がアジアの産業クラスターの形成に影響するとされるが、それ以前に対ASEAN交渉の難航打開が先との指摘もある。ASEANをめぐる動きでは、中国との間でFTA(自由貿易協定)が進行しており、15年に完成予定。