1983年に、マレーシア政府が産業政策により設立した企業。マハティール元首相は、81年に三菱自動車との合弁による国民車製造を提案。この国民車構想は82年に内閣の承認を得、同年、マレーシア重工業企業(HICOM)と三菱自動車が契約してプロトンが設立された。同社の国民車プロトン・サガは85年に発売され、生産台数は87年には5万台に達した。93年には研究・開発施設が開設されるなど、業績は拡大したものの、2002年には三菱自動車との提携を解消。また、ASEAN(東南アジア諸国連合)間の相互市場開放の方針のもと、高関税率などの手厚い保護政策が不可能となるなかで、一時は90%近くまであった国内販売シェアは急降下し、05年には24%まで低下した。巻き返しをねらった新型車も、それほど失地回復には至らず、プロトン単独の能力では回復は難しいとも言われる。しかし、資本所有比率が50%を超えられない状態では、外資がプロトンと提携することは難しく、提携が有力視されたVW(フォルクスワーゲン)やGM(ゼネラル・モーターズ)との交渉も、07年11月に打ち切られた。06年のプロトンの国内市場占有率は20%を切り、ダイハツ工業が出資する第2の国民車メーカー、プロドゥアに国内首位を明け渡すことになった。