タイのレムチャバン港を中心に実現された、アジア成長の一つの原型となるモデル事業。東部臨海開発計画ともよばれる。開発計画は1982年から93年まで継続し、80年代の日本のODA(政府開発援助)でもっとも成功した例の一つにも数えられている。成功の要因は、政策手段のシークエンスが適切であり、産業クラスターの集積が順調に進んだことが挙げられる。東部臨海開発事業における政策手段のシークエンスを年代順に説明すると、82年に水・導水事業の借款契約が調印され、84年にレムチャバン港、85年にレムチャバン工業団地の借款契約が調印された。さらに、インフラ事業として鉄道事業と道路事業が開始された。88年から90年にかけて、インフラ事業として鉄道事業と道路事業の借款契約が調印された。アンカー企業となる三菱自動車は92年にレムチャバン工業団地に工場を設立している。この約10年間に日本は700億円の援助を行い、レムチャバン工業団地を中心に自動車産業が集積した。その雇用効果は約4万人であった。