従来はコンクリートの型枠やスリーブとして使用されていた紙管を、構造材に使用した建築物で、現在、仮設建築物にとどまらず恒久的な建築物まで建設されている。1986年に、建築家の坂茂が短期間の展覧会会場の屋内で、紙管を使用して間仕切りを作ったのが最初とされる。坂は木の暖かさを表現しつつ、木に代わる建築材料として紙に注目して紙管の研究・実験を続け、91年には「詩人の書庫」(神奈川県逗子市)を建築し、木造建築物として確認申請を行う。その後、構造家の協力を得て94年に紙管構造(PTS)の建築基準法第38条の評定を取得し、「MDSギャラリー(紙のギャラリー)」(東京都渋谷区)の確認申請を通す。国外においても、2000年にハノーバー万博の日本館で紙管建築を実現させている。紙管は安価で軽く、建築の時に重機を用いる必要がない。世界中どこでも入手できる。また、紙管は段ボール、新聞、雑誌などの古紙で作られているので、仮設住宅の解体後も、廃棄・焼却、あるいはリサイクルがしやすい。この特性を生かして、災害地域における仮設建築物に紙管を使用する例も多い。1994年のルワンダ内戦からの避難民のためのシェルター等のほか、日本国内で起きた阪神淡路大震災や東日本大震災でも仮設住宅「紙のログハウス」や避難施設のための「避難所用管理間仕切り(パーティション)」で使われた。その一方で、紙であるため防水性に乏しく耐久性に難があることから、外装に利用した場合は劣化が早い。劣化を防ぐために耐水性や耐火性を高める処置を行うと、結局は高額になり、廃棄処分方法も容易でなくなる。つまり、リサイクル不向きとなるデメリットも考慮しなければならない。