2002年8月に発覚したイランの核疑惑に関して、ウラン濃縮の停止を求めて、当初、イギリス、ドイツ、フランスがイランと交渉し、国際原子力機関(IAEA)が警告決議を採択したが問題は解決せず、06年1月にイランはウラン濃縮を再開した。6月に国連安全保障理事会(安保理)の5常任理事国とドイツの6カ国は、イランに対して濃縮活動停止の要求と経済援助など大きな見返りを含んだ包括提案を行ったが、イランは受け入れなかった。その後、12月および07年3月に安保理は決議を採択し、イランが濃縮活動を停止すべきことを決定し、一定の制裁を科したが、イランはそれらを拒否した。07年12月のアメリカ情報機関による「国家情報評価」は、イランは03年に核兵器開発を停止したとみられると発表した。08年3月に安保理はイランに追加制裁を科す決議を採択したが、イランは拒否し、濃縮活動を継続した。09年にアメリカはオバマ政権となり対話を呼びかけたが、事態は進展せず、同年9月にイラン中部コマ近郊に2番目のウラン濃縮施設が判明した。10月に上記6カ国とイランの間で、イラン産低濃縮ウランの大半を国外に持ち出し、燃料加工した後に同国に戻すことがいったん合意されたが、イランはその後拒否した。10年6月、安保理は新たな決議を採択し、濃縮施設、再処理施設、重水関連施設の即時停止および新規建設の禁止、通常兵器の供与禁止、弾道ミサイル活動の全面禁止、革命防衛隊の資産凍結など、新たな制裁措置を決定した。11年11月にIAEAはイランの核問題に関する報告書を提出し、具体的な証拠を示しながら、イランが核爆弾開発に関連する活動を遂行してきており、イラン核開発計画の軍事的特質に深刻な懸念を持つと述べている。