厳しい自然から実効的支配が困難なため、20世紀に入っても南極大陸はいずれの国の領域ともならなかった。その後英仏など7カ国が領有を主張したが、米ソはこれに明確に反対の立場をとった。1957~58年の国際地球観測年(IGY)を契機に、59年に日本を含む12カ国で南極条約が締結された。条約は南極地域における新たな国際制度を設定し、平和利用・科学調査の自由・領有権の凍結を基本原則とした。また南極の非軍事化・非核化を確保するため、各締約国により指名された監視員が基地への自由な出入りを保障される相互査察を導入した。条約締約国は先進国中心で50カ国に届かず、約半数の締約国から構成される協議国会議が頻繁(ひんぱん)に開催されている。72年には南極アザラシ保存条約、80年の南極海洋生物資源保存条約、91年には環境保護に関する南極条約議定書が成立し、南極地域の資源保護と環境保全がはかられている。