ヨーロッパでは18世紀ころまでに、ほぼ均等な国力をもつ複数の主権国家が互いに拮抗(きっこう)する状況が出現し、主権国家が自由と独立を保つには他を圧する強国が出現せず、拮抗状態が維持されることが望ましいという価値観が定着し、その理念は「勢力均衡」という言葉で概括的に表現された。勢力均衡を維持するためには、ある国が過剰に力を伸ばそうとしたとき、他国は同盟(alliance)を組んで対抗することが自然であり、かつ望ましいとされた。このような勢力均衡は安全保障体制の一種と見なすことができるが、戦争を完全に回避することは意図されておらず、現に18世紀までのヨーロッパでは多数の戦争が戦われた。ただしヨーロッパの文化的一体性や兵器の殺傷力の限界がこの時期の戦争を比較的流血の少ないものとしたので、勢力均衡は政治家や外交官、国際法学者からおおむね高く評価された。しかし産業革命によって武器の殺傷力が増し、また、ナショナリズムの普及によって国家間の対立が国民の熱情を伴うようになると、戦争の被害は次第に増大し、ついに第一次世界大戦に至って戦争の惨禍は巨大な規模に達し、勢力均衡と同盟政策は戦争を誘発するとして非難されるようになった。