2003年11月、グルジアでのいわゆる「バラ革命」によってシェワルナゼ大統領(当時)が辞任に追い込まれた。04年11月のウクライナ大統領選決選投票においてクチマ前大統領の後押しを受けた親ロ派のヤヌコビッチ首相(当時)が勝利したとの結果発表に対して、親欧米派のユーシェンコ前首相(当時)を支持する野党陣営は大規模な選挙不正を糾弾し、抗議集会には数十万人の市民が参加した。最高裁判所が命じた再選挙ではユーシェンコが勝利し、05年1月大統領に就任した。キルギス共和国においても、05年2月から3月にかけて、多くの野党候補を排除して行われた議会選挙において与党が圧勝するが、野党勢力によって南部で開始された抗議行動が首都に及ぶと、独裁色を強めていた当時のアカエフ政権は崩壊した。大衆的抗議が政権を促す展開を経た体制変革は、レバノンでも起きており、第2期ブッシュ米政権(当時)が主要課題に掲げる民主化が中東から中央アジアにかけて「ドミノ現象」的に起こっているという見方もあった。しかし民衆行動による政変が親米的な民主体制の確立につながるかは未知数である。また反政府暴動への対応を欧米諸国から批判されたウズベキスタンのように、民主化の潮流が権威主義的な政権の警戒心を強め、アメリカの影響力の浸透を嫌うロシアや中国に接近させる兆しもある。たとえば中央アジア4カ国と中ロでつくる上海協力機構は05年7月の首脳会談で中央アジア諸国での米軍駐留の継続と民主主義拡大のためのアメリカの介入に反対する姿勢を明らかにし、さらに核問題で欧米との対決姿勢を強めるイランを準加盟国に加えた。