北京オリンピックの開幕式に世界の注意が集まっていた2008年8月8日朝、グルジアは分離地域となっている南オセチア自治州に進攻、同地域に平和維持部隊を展開していたロシアは軍隊を増援して反撃に出た。グルジアも総動員令を発動して対抗したが戦力に勝るロシア軍はグルジア領内を攻撃、黒海での海上封鎖も実施してグルジア側を圧倒した。紛争の背景は重層的である。グルジア領内の南オセチア、アブハジア自治共和国の少数民族問題が火種としてあり、「バラ革命」で政権についたサーカシビリ大統領は親西側かつ民族主義的立場からこれら地域への支配権を主張していた。他方でロシアはこの地域をロシア近隣の要衝ととらえ、同じく西側志向を強めるウクライナとともに、そのNATO(北大西洋条約機構)加入希望を強く牽制(けんせい)していた。さらに、カスピ海から地中海へと石油、天然ガスを輸送するパイプライン・ルートであることもグルジアの戦略的意義を高めた。戦端はグルジアによって開かれた可能性が高いが、緊張は双方によって高まっていたといえる。この事態に対してアメリカのブッシュ政権(当時)はロシアのグルジア侵攻を侵略と非難し、欧州連合(EU)も議長国フランスのサルコジ大統領が中心となって停戦仲介を図った。米欧の仲介で8月16日、部隊撤退などを柱とした停戦合意が成立し、紛争はひとまず収束した。しかし26日、ロシアは南オセチア、アブハジアの独立承認を宣言し、領土の一体性を主張するグルジアとの根本的対立は残っている。ただ、直後の上海協力機構会合でもロシアへの支持は弱く、またこの紛争をきっかけにロシア経済は下降線をたどり、事態は鎮静化している。