本来、在韓米軍はソウルと軍事境界線の間に配備されることで、北朝鮮の対南武力行使が米軍に対する攻撃につながり、それがアメリカの自動介入に連動する「トリップ・ワイア(導火線)」の役割を果たしていた。1971年に第7歩兵師団が離韓してから、軍事境界線全域は韓国軍が防衛することになったが、それ以降も第2歩兵師団司令部が議政府(キャンプ・レッドクラウド)に置かれていた。しかし、ブッシュ政権は発足当初から、軍事技術上の革新を背景に、グローバルな海外駐留米軍再編の一環として在韓米軍の再編を考え、盧武鉉政権発足以降、第2歩兵師団だけではなく、ソウル龍山の在韓米軍(在韓国連軍・米第8軍)基地の移転計画を韓国に通告し、合意を得た。さらに、アメリカは現有兵力の約3分の1にあたる約1万2000人の削減計画を発表し、第2歩兵師団1個旅団のイラク派兵も決定した。本来、在韓米軍の任務は北朝鮮に対する抑止に限定されていたが、これにより、在韓米軍は他の地域紛争、対テロ戦争に対処する機動力の一環として位置づけられることになる。2005年1月、米韓外相会談で、在韓米軍の韓国外への円滑な派兵を可能とする「戦略的柔軟性」に合意する共同声明が発表されると、韓国国会では「戦略的柔軟性」について国会での事前の論議、同意がなかったことなどの批判が相次いだ。また盧武鉉大統領も同年3月の演説で、「韓国がその意思と無関係に北東アジアの紛争に巻き込まれることはない」として、在韓米軍が台湾海峡の紛争に投入されることに警戒を隠そうとはしなかった。この演説は一部で「盧武鉉ドクトリン」とも呼ばれることになった。