盧武鉉は03年の大統領就任以前から、韓国を北東アジアの経済活動の「ハブ国家」と位置づけていたが、2005年2月24日、大統領就任2周年の国政演説で初めて韓国を「バランサー」と位置づける発言を行った。「バランサー論」は「ハブ論」の外交・安全保障版と考えてよい。盧武鉉は北東アジアが経済の領域では相互依存を深めているのに対し、外交・安全保障の領域では冷戦構造が残存し、それが関連国家の間で摩擦を生んでいると認識し、二つの領域を調和させる構想として「バランサー論」を提唱したものと考えられる。また盧武鉉は、政権発足当初から軍事停戦体制の平和体制への転換など、冷戦構造の解体にも言及していた。前金大中政権期にも冷戦構造解体論があったが、盧武鉉は「バランサー論」を唱えることで前政権の冷戦構造解体論を東西陣営に拘束された外交からの脱却という形で発展的に継承したともいえる。しかし、盧武鉉の「バランサー論」が生まれた背景の一つとして、在韓米軍および韓国軍のイラク派兵などで動揺した米韓関係がある。盧武鉉は「バランサー論」を初めて提唱した国政演説で、「わが軍隊が自ら作戦権をもった自主軍隊」としてバランサーの役割を果たすと述べていた。米韓連合軍体制において「戦時」の作戦統制権は依然として米軍が保持しているが、盧武鉉の発言には韓国がアメリカの軍事戦略に巻き込まれることへの懸念が背景にある。