金日成生存中から、金正日への権力継承は、1990年5月の最高人民会議第9期第1回会議での金正日の国防委員会第1副委員長への選出、91年12月の朝鮮人民軍最高司令官への推戴にみられるように、軍における移譲から始まった。また、92年4月の憲法改正でも、中央人民委員会の傘下にあった国防委員会が「最高軍事指導機関」に格上げされ、金正日は93年4月の最高人民会議第9期第5回会議でその委員長に就任していた。その翌年の7月8日の金日成死去以前に、軍における金正日への権力移譲とともに、国政全体における軍の比重はすでに増大していたといってよい。さらに、金日成死去後は、「軍隊はすなわち人民であり、国家であり、党である」とする「軍重視思想」というスローガンが掲げられるようになった。98年9月の憲法改正で、国家主席制を廃止するとともに「国家の最高職責」となった国防委員会委員長に金正日が就任したのは、その延長線上にある。その後、99年6月の労働新聞(朝鮮労働党中央委員会機関紙)など3紙共同社説で初めて「先軍政治」に言及されたが、これは金正日国防委員会委員長に対する絶対的忠誠心を基盤に、「軍重視思想」を「革命の戦略的路線」に発展させたものと位置づけられる。2004年8月の「労働新聞」の論評では「党幹部隊列を朝鮮人民軍で鍛えられた人物で頑丈に固めるようにした」と述べ、軍から党幹部への登用が行われたことを示唆した。