1975年に周恩来が提唱した工業・農業・科学技術・国防の四つの近代化を通して「富強中国」を目指すという目標を、77年に復活したトウ小平が具体化するため推し進めた路線を指す。毛沢東の継承者・華国鋒を追い詰め、78年12月の党11期第3回中央委員総会で近代化建設への転換に成功し、以後改革開放路線を軸に高度経済成長を推進した。トウ小平路線の特徴は、(1)経済優先主義、(2)比較優位主義(先富論に見られる不均等発展の容認)、(3)社会主義体制外改革先行方式(最も「社会主義的」な国有企業の改革などを後回しにして農業改革、外資系企業の導入などを先行)、(4)市場経済の積極的導入、(5)漸進主義、(6)政治安定の重視、(7)近代化建設のために国際平和・国際協調路線を優先、などに集約されるが、その根底には革命主義・政治優先であった毛沢東路線とは対照的な「白猫黒猫論」に示される徹底したプラグマティズムがある。もっとも80年代には政治体制改革の必要性も説いていたが、「党の絶対指導」を疑問視した反体制的な89年春の民主化運動を軍事力で鎮圧した天安門事件(六・四事件)後は、政治体制改革を放棄した。そして天安門事件以来国際的に孤立し、経済停滞が続いた92年、トウは最後の檄とも言える南巡講話を行い、改革開放を加速せよ、市場経済を推進せよと訴えた。これが功を奏し、トウ死後も「トウ小平路線」は今日に至るまで継承され、「富強中国」への道を着々とまい進している。