日中関係は1972年の国交正常化以来、長らく事実上「個別2国間関係」であり、70~80年代には両国関係は総じて良かった。中国は対ソ戦略から米中接近を進め、日米安保容認論をとった。また近代化建設・改革開放を推進する限り、隣国日本の資金と技術協力は不可欠であった。日本も歴史問題の「負い目」「償い」意識、中国の文化・歴史へのあこがれから、対中支援・友好協力を進めた。90年代に入り、中国の大国化戦略と、日本の「失われた10年」の混迷も反映し、中国への危惧(きぐ)感、中国脅威論が生まれた。他方、中国も社会主義イデオロギーの急速な脆弱(ぜいじゃく)化により愛国主義教育に力を入れた。それらの結果、日本・中国双方の相手に対する感情は今まで以上に悪くなってきた。中国では、若者の反日機運が高まり、2005年には各地で反日デモが起こった。他方で、その05年でさえ日本に留学する若者は増大傾向にあり、日中関係の心理的複雑さを示している。こうした中で06年9月に就任した安倍晋三首相は、歴史認識では前任の小泉純一郎首相よりもタカ派といわれたが、積極的に日中関係改善に乗り出し、同年10月に訪中し胡錦濤国家主席との間で「戦略的互恵関係」の構築を確認した。07年4月には温家宝首相が訪日。その後の福田康夫、麻生太郎首相の下でも日中関係は改善・強化の方向に進んだ。09年9月に就任した鳩山由紀夫首相は10月に訪中し中国側首脳と会談、12月には民主党の小沢一郎幹事長の訪中、習近平国家副主席(当時)来日、国連など国際会議での会談も含め両国首脳の往来は活発化した。しかし10年9月に尖閣諸島近海での中国漁船の衝突・船長逮捕の事件が発生。その後、中国人1万人の訪日観光団派遣の中止、レアアース対日輸出凍結、在中国フジタ社員の逮捕拘留、さらには内陸部都市での反日暴動と、日中緊迫は一挙にエスカレートした。12月以降は双方の対立は沈静化していたが、日本の対中感情の悪化は深刻で、12年4月の石原慎太郎東京都知事の「尖閣諸島買い取り発言」以来、台湾、香港も含めて「釣魚島防衛連盟」などの動きが活発化し、8月に香港のグループによる尖閣上陸事件が起こった。これらの事態を受けて日本政府は9月に「尖閣国有化」を決定。以後中国の強烈な反日暴動、尖閣一帯の領海・領空侵犯事件が頻発するようになり、日中関係は極めて厳しい局面となった。12年は国交正常化40周年記念の年であったが、尖閣問題をめぐる両国の対立によって記念行事はことごとくキャンセルされた。13年に入り、1月に山口那津男公明党代表の訪中、習近平党総書記との会談実現、安倍首相の親書手渡しなどにより、日中関係修復の動きが始まっているが、日中の健全な関係への修復にはなお時間がかかりそうである。