1986年9月に「台湾自決」を綱領に掲げ、正式名称「民主進歩党」として結成された。89年の「党禁」解除で合法政党となり、90年には「わが国の主権は中国大陸に及ばない」と「台湾主権独立」決議を採択。2000年3月李登輝総統引退を受けての総統選挙に陳水扁が呂秀蓮副総統候補とのコンビで立候補。宋楚瑜、連戦を破り、国民党以外で初の政権政党となった。当初は立法院(議会)で圧倒的な少数与党という現状を踏まえ、優位に立つ国民党との連携を模索し「全民政権」を掲げ、国民党員の唐飛を行政院長(首相)に任命するなど妥協的な人事・政策を試みたが、うまく行かなかった。01年12月の立法院選挙で民進党は第1党に躍進し、新たに結成された独立派の台湾団結連盟も議席を伸ばしたが、過半数に達せず政権基盤は弱いままで、台湾経済の低迷、中国経済への一層の依存という状況の中で、厳しいかじ取りを余儀なくされた。しかし台湾自立意識の広がりに押され、04年3月の総統選挙では野党統一候補の連戦に小差で勝利し再選された。さらに04年12月の選挙でも民進党は議席を伸ばしたが、過半数獲得は実現せず、少数与党政権の状態は続いた。さらにアメリカのブッシュ政権の「台湾独立不支持」発言などにより、民進党政権のシナリオは壁にぶつかり、その上06年に入り身内と側近の不祥事が相次ぎ陳水扁政権の人気は急落し「倒扁運動」が起こった。08年1月の立法院選挙では民進党が大敗。3月の総統選では民進党の謝長廷が国民党の馬英九に破れ、09年の陳水扁の逮捕、有罪判決により民進党は混迷状況に陥り、やや回復の兆しはあるものの前途は依然厳しい。