中国革命に勝利し中華人民共和国の樹立を導いた毛沢東が、建国以降ソ連型社会主義と決別して推し進めた中国独自の社会主義建設、「継続革命」などを総じて毛沢東路線と呼ぶ。その特徴は、(1)社会主義段階に入っても階級闘争が必要と力説(政治優先主義)、(2)生産力の発展以上に刻苦奮闘の革命的精神、平等主義、生産関係の重視、(3)自力更生型の生き方、自給自足型の社会システムの推奨、農業集団化の重視などがあげられよう。(3)の具体化として進められた人民公社は、1958年大躍進政策の一環として農村の社会主義化の中で取り組まれたもの。以後中国型社会主義の典型として82年まで続いた。文化大革命(文革)は大躍進政策の失敗後、劉少奇・トウ小平による経済回復重視に対抗し、60年代後半再び毛沢東によって(1)(2)が強調され、毛沢東に心酔する紅衛兵ら若者をあおり「実権派」劉トウ打倒を図り、継続革命を支える新たな権力構築を図った。しかし、奪権闘争は様々な領域で無秩序、大混乱を招き、地方軍の介入によって秩序が回復した。その結果、理想を掲げた文革は、毛への極端な個人崇拝と国家・社会の軍事独裁化という事態を招いた。毛沢東路線の推進は、結局中国における社会主義建設の混迷をもたらした。