チベット族は1951年に共産党の支配下に入り、56年にチベット自治区準備委員会が発足したが、59年3月に共産党の統治に反対する「動乱」が起こった。「動乱」は平定され、最高指導者のダライ・ラマ14世はインドに脱出し、亡命政府を樹立した。その後チベットでは65年に正式に自治区政府が樹立され、急進的に社会主義化が進んだが、混乱と貧困を招いた。改革開放以後、当局は当地の経済発展の支援を強化しているが、他方で87、89年に独立運動が顕在化すると、戒厳令をしくなど厳しく鎮圧した。しかしダライ・ラマ14世は、89年12月にノーベル平和賞を受賞するなど、国際社会から高い評価を得ている。2008年に入り、オリンピックの聖火リレーが進む中で、世界各地でチベットの独立支持、中国当局の弾圧反対を叫ぶ抗議活動が再び勢いを盛り返した。同年3月、ラサや四川省のチベット自治州などで、激しい暴動が発生し、当局は強硬手段をとり、多数の死者や逮捕者を出した。その後ロンドン、パリ、ニューデリーなど各地でも激しい抗議行動が起こった。オリンピックの成功を至上課題にした当局は、ダライ・ラマ・グループとの対話を再開しつつも、力で封じ込めた。オリンピック後、同自治区なども平静を回復しているが、中国当局は対話でも基本的な譲歩は見せず、その傷跡は一層深まっている。11年5月ダライ・ラマ14世は自らの意思と亡命チベット人社会の機関決定により、政治権力を亡命政府に移譲し政治的に引退を宣言した。これによりポスト14世体制が進み、チベット問題は新たな展開に向かう。