2012年4月、石原慎太郎東京都知事は「尖閣諸島買い取り発言」をし、以来徐々に台湾・香港を含む中国との関係、国内情勢が緊迫していった。そのような中で、日本政府が9月11日に「尖閣諸島の国有化」を決定した。その日人民日報(ネット版)は、長文の評論を掲載し、その最後で軍事行動など激しい攻撃を行う前によく用いる表現と言われる「現状は『懸崖勒馬』(そそり立った絶壁で馬の手綱を引っ張って止めている状態)である」と力説した。その直後から18日にかけて中国全土100を超える都市で「反日デモ・暴動の暴風雨」が荒れ狂った。中には日系企業、スーパーなどに対するすさまじいまでの破壊、略奪が行われ、その後も、在中国日系企業・商店は大きな打撃を受け、対中輸出も大幅に落ち込んでいる。また、尖閣諸島近海の日本領海内へ中国船が頻繁に立ち入り、予断を許さない状況に陥ってしまった。この大規模な反日デモ・暴動は、予想外の自発的な広がりと中国当局の計画的な意図が混じり合った事件であった。尖閣問題をめぐる中国側の主張には客観的に見て特に3つの大きな弱点がある。1つは、中華民国(1912年成立)以前の中国は国民国家に基づく主権・国境の概念と異なって、周辺諸国とは上下のヒエラルキーを意識させることによって秩序のある中華圏を形成していたので(天下国家、華夷秩序)、境界そのものが極めてあいまいで、尖閣諸島を明確に国家主権の及ぶ「固有の領土」と言うには無理がある。2つには、中国側は中国皇帝の使者の記録「冊封使録」などを用いて自国領の根拠としているが、これは地元民が抱く「ふるさと」意識と国家主権の及ぶ領域の境界が混同され、恣意的に用いられている。3つには、中国が自国領土と初めて公に主張したのが、実は1895年(日清戦争の最中、沖縄県に編入)から76年もたった1971年であった。本当に自国領と考えていたのなら、なぜもっと早い時期にそれを主張しなかったのか。しかもその間、中国の人民日報が「尖閣を琉球諸島」に含めて言及している記事もある(1953年1月8日)。今日の自国領主張の実質的な要因としては、(1)尖閣諸島海域の豊富な海底資源の確保という経済的理由、(2)国内の格差問題など民衆の体制不満のガス抜きあるいは指導部内の権力闘争の反映、(3)大国化に伴うナショナリズムの高まり、(4)アジア太平洋の勢力圏拡大をめぐる軍事戦略的理由である。12年の「反日爆発」は、(1)の要因は弱く、(2)もあったが、おもに(3)と(4)の要因が強いと判断できる。さらに、(5)尖閣自国領土を主張する台湾とも連携し、結果的に「中台統一」の機運と条件を高めた。日本政府による「国有化」宣言は、これらの目的を実現する格好の材料となった。反日ナショナリズムの機運が一挙に高揚し、日系企業・商店を徹底的に破壊し、そこに働く中国人従業員らにも犠牲を強い、恐怖感を与えることによって、一般国民に日本に好感を持つことは危険だという感情を植え付けた。同時にアジア太平洋海域への軍事的な影響力の拡大という意図をめぐっては、国有化反対の名目を手に入れ、中国の漁船、巡視船、艦船が「尖閣領海」に頻繁に乱れ込み、そのような状況を日常化することによって、「日本領海論」を実力で吹っ飛ばしたような状況にある。