2012年11月習近平は中国共産党総書記に就任して以来、「大虎もハエもたたく」と公言し、広範囲に反腐敗キャンペーンを展開してきた。この中で最大の「大虎摘発」となったのが周永康事件である。周永康は、江沢民系で石油閥の代表格であり、02~07年に党中央政治局委員に、07~12年に政治局常務委員に就いた。さらに情報、治安、司法、検察、公安部門を翼下におき、司法部長や最高人民法院院長らに強い影響を与える党中央政法委員会の書記に就き、胡錦濤に劣らぬ絶大な権力を掌握した。周永康の逮捕・失脚は周到な準備の下に進められた。まず四川グループの摘発が12年12月、側近の李春城・同省党委員会副書記の取り調べから始まった。13年夏からは石油部門に移り、中国石油天然ガス集団の王永春副社長、蒋潔敏・国有資産監督管理委員会主任らが標的にされた。同年末には、政法委員会書記時代の腹心、李東生・公安部次官が解任され徐々に包囲網を狭めた。14年7月、党中央規律検査委員会は周の「重大な規律違反」について立件したと報じた。同年12月、党中央政治局は周永康の党籍を剥奪し、身柄を司法機関に移す決定を下し事件は一件落着した。従来、「政治局常務委員については刑事責任を追及しない」という不文律があったが、この事件でそれは破られ、今後さらに大物の腐敗摘発が予想されている。