中国共産党の指導者たちがあるつながりをもって行動していることは確かであるが、それを派閥として正しく説明することは困難である。1980年代にはトウ小平派と言われていた胡耀邦、趙紫陽がトウ自身によって失脚に追い込まれた。習近平はこれまで江沢民派と言われてきたが、江沢民に近い薄熙来、周永康、徐才厚元中央軍事委員会副主席らを次々と失脚に追いやっている。毛沢東時代の派閥の基本は解放軍の第1~第4野戦軍系の人脈である。トウ小平時代の派閥はこの野戦軍系プラス実務官僚系でつながりを見ることができる。今日の比較的明確な系列は、(1)共産主義青年団(共青団)系=胡耀邦、胡錦濤、李克強、李源朝ら、(2)上海閥系=江沢民、曽慶紅、呉邦国、兪正声ら、(3)利益集団系=石油派(周永康ら)、石炭・水力エネルギー系(李鵬ら)である。軍は従来保守的な派閥の重要な基盤であったが、改革・近代化の中で独自の派閥性の色を失ってきている。この間注目されているのが(4)太子党(紅二代ともいわれる革命幹部の子息)系である。しかし(4)は李源朝のように(1)や、曽慶紅、兪正声のように(2)にも重なる人が少なくなく、また軍の少なからぬ要職に(4)の幹部が占めるようになっている。習近平自身は、系列から見ると上海派閥ではなく共青団系でもなかったが、出世の過程で彼らと組み、また胡錦濤とも協力関係を作っていった。彼がいま最も依拠しているのは彼自身の地方指導者時代の人脈と(4)である。