1988年のビルマ(ミャンマー)民主化運動のなかで同年9月に結成された最大野党。「ビルマ独立の父」アウンサン将軍の長女アウンサンスーチーが書記長に就任。同党に対する国民の高い人気を恐れる軍事政権は89年、スーチーら党幹部を自宅軟禁、政治活動を禁止したが、90年の総選挙はNLDの圧勝となった。しかし軍政は政権移譲を拒否。NLDは選挙結果の尊重と選出議員による国会開催などを求めて、軍政との対話を求めた。スーチーはその非暴力に徹した闘いによって91年のノーベル平和賞を受賞した。2010年3月に制定された選挙関連法案ではスーチーが総選挙から排除されたことに抗議して、NLDは同11月の総選挙のボイコットを決定。同年5月に解党処分となった。NLDから分派した国民民主勢力(NDF)は総選挙で立候補者の約1割しか当選できず惨敗した。11年3月の民政移管によって発足したテインセイン政権は、選挙後に7年半におよぶ3度目の自宅軟禁から解放されたスーチーとの協力姿勢を打ち出し、NLDの政党参加を可能とする法改正を行った。12年4月に実施された国会下院補欠選挙で、NLDは22年ぶりに政党として参加。45議席中、スーチーの当選を含む43議席を獲得して圧勝した。