1986年2月にマルコス独裁政権を打倒して、民主化を訴えるアキノ政権を誕生させた2月革命の原動力となった民衆の非暴力運動のこと。2001年1月にエストラダ大統領の腐敗を糾弾して退陣に追い込み、アロヨ大統領を誕生させるのに大きな役割を果たしたのも同じような民衆の非暴力運動の高まりだったことから、「ピープルパワー2」の勝利とたたえられた。しかし、06年2月に予定されていたピープルパワー革命20周年式典は、同月にアロヨが出した非常事態宣言によって中止となった。非常事態宣言は軍部のクーデター計画阻止のためとされたが、大統領への国民の批判が高まっていたため、「ピープルパワー3」に機先を制する狙いもあったのではないかとの見方もあった。問題は、「ピープル」とは誰かである。エストラダを退陣に追い込みアロヨを大統領の座につけたピープルパワーの多くは財界、都市中間層、軍などの持てる階層といわれた。国民の7割を占める貧困層にはアロヨに代表されるエリート層への不信があり、腐敗まみれながら貧困層へのばらまきと利益誘導を行ったエストラダの支持者は少なくなかった。彼らはエストラダ逮捕に抗議のデモを展開した。