2010年3月から首都バンコクで展開されたタクシン派の大規模反政府行動に対して、政府が5月、強制排除に乗り出し、同派と軍・警察双方で89人が死亡し、1800人余りが負傷した事件。経済中枢地区の道路を占拠していたデモ隊の排除開始とともにショッピングセンターなどが放火され、周辺地域や観光業に大きな被害が出た。騒乱終結後、アピシット首相は王制の擁護や経済格差の是正、強制排除による犠牲者の真相究明など、5項目から成る国民の和解推進のロードマップを発表した。しかし、騒乱の背景には近年のタイ経済の発展にともなう構造的な矛盾があり、タクシン派の反政府行動はその後も散発的に続いている。これまでの開発の成果はバンコクをはじめとする都市の住民中心に分配され、政治の主役も彼らだった。農民や都市の貧困層はその恩恵にあずかれないだけでなく、政治的発言力も弱かった。だがタクシン首相の貧困政策は、彼の真意がどこにあったかは別にして、貧困層の圧倒的な支持を獲得し、彼らに自分たちの一票が政治を動かすことができるという政治意識を目覚めさせた。騒乱は、経済的・政治的公正の実現をめざす新たな民主的変革への産みの苦しみといえる。