多民族国家であるミャンマーは1948年の独立時に、各民族の代表が集まって人口の7割近くをしめる多数派のビルマ族と対等の関係を定めたパンロン協定を結んだ。しかし、軍事政権は中央集権化を進めて、少数民族に対する掃討作戦を展開。抵抗する武装勢力との紛争が続いてきた。政府軍による迫害を恐れて、東部のタイ国境にはキリスト教徒のカレン族やカレニー族らが難民として流入している。だが、タイ政府は国境沿いの9つの難民キャンプで生活する14万人のうち6割しか難民として認定していない。難民として認められなかった人々の中には不法滞在者になる道を選び、タイ社会の底辺労働に従事している人も多い。また、西部ラカイン州に暮らすイスラム教徒のロヒンギャ族住民も隣国バングラデシュに20万人が難民となっているほか、海路でマレーシア、タイなどへ逃げたりしている。さらに、北部カチン州からも7000~1万人のカチン族難民が2011年6月以来、政府軍の攻撃を逃れて中国の雲南省に避難している。12年6月、野党指導者アウンサンスーチーは自宅軟禁を解除された後の最初の訪問先に隣国タイを選び、ミャンマー国境近くにある難民キャンプを訪問。「皆さんの帰国のために最大限努力する」と語り、難民問題の解決に取り組む決意を示した。