南北統一を目指した北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が、南ベトナム(ベトナム共和国)とアメリカを破った戦争。共産陣営だった北ベトナムはソビエト連邦と中国が全面支援しており、冷戦時代の代理戦争でもあった。超大国のアメリカが敗退したことは世界に大きな衝撃を与え、戦後史の転換点となった。1964年のトンキン湾事件をきっかけにアメリカが北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始。宣戦布告のないまま本格的な軍事介入の始まりとなった。南ベトナムでも共産勢力とのゲリラ戦が激化して、アメリカは最大54万人の兵力を投入した。しかし、68年のテト攻勢で共産勢力が逆襲して、情勢は泥沼化。米軍はナパーム弾や誘導弾などでの激しい爆撃に加えて、ゲリラ対策として人体に害のある枯葉剤も大量に使用した。村民500人あまりを虐殺したソンミ村事件なども起きて、国際的な非難を浴び、米軍の士気も低下した。戦争の見通しが立たなくなったジョンソン大統領は同年の大統領選挙での不出馬を表明した。アメリカ国内で反戦世論が強まり、73年のパリ和平協定で米軍は撤退した。75年にサイゴン(現ホーチミン)が陥落して、翌年にベトナムは統一された。隣国のラオス、カンボジアでも、共産勢力が相次いで政権を握り、インドシナ3国はいずれも共産化された。しかし、その後もベトナムはカンボジアのポル・ポト政権と全面戦争に突入。インドシナ半島の戦乱が続いた。