インドとパキスタンの独立以来、カシミール問題は3次に及ぶ印パ戦争(カルギル紛争も含めると4次)の火種となってきた。カシミール地域は、現在インド(ジャンム・カシミール州)のほか、パキスタン(アーザード・ジャンム・カシミールと北方地域)と中国(アクサイチン地区)がそれぞれ一部を領有しているが、印パ独立以前はジャンム・カシミール藩王国としてイギリスの間接統治の下にあった。総面積は22.2万平方キロと日本の本州に匹敵する。その重要性は経済的というより、中国、中央アジアに近接する地理的戦略性にある。人口の圧倒的多数はイスラム教徒であったので、印パの独立(1947年8月)にあたってパキスタンが領有を主張したが、藩王(ヒンドゥー教徒)とカシミールの有力な政治組織であった「国民会議」はインド帰属を選択した。これに対してパキスタン軍に支援されたゲリラが軍事行動を開始し、第1次印パ戦争が勃発した。49年1月の停戦による境界線は、その後65年9月の第2次、71年12月の第3次印パ戦争を経て、現在の実効支配線(LOC ; Line of Control)となって、ジャンム・カシミールを東西に二分している。インド側は旧藩王領のカシミール全体がインドに帰属すると主張し、国際的な介入を拒否している。パキスタンは、帰属は未解決であるとして、国民投票の実施を主張する。パキスタン側のアーザード・ジャンム・カシミールは、形式的には大統領と首相をもつ独自国家である。問題の解決は困難であるが、両国の支配地域を結ぶバス交通の開始(2005年4月)により、実効支配線を「ソフト・ボーダー」化する展望も見え始めた。