米印原子力協定とも。2008年10月10日にインドとアメリカの間で結ばれた核燃料・技術の提供、民生用核施設の査察をめぐる協定。冷戦の終結後、急速に欧米に接近していたインドは、1998年5月の核実験に対する制裁措置で、一時的に欧米、日本との関係進展に足踏みした。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ以降、「反テロリズム」支持、アフガニスタン空爆支持、経済制裁の解除、印米軍事協力協定の締結(02年6月)と、対米連携は一段と深められた。04年1月には、ブッシュ米大統領とバジパイ首相が「戦略的パートナーシップ」をうたい、宇宙開発、原子力技術、ハイテク貿易といった高度技術の提供をめぐる枠組み作りに踏み出した。ブッシュ政権は核不拡散条約(NPT)に参加していないインドに対して、軍事用核施設を除外した民生用核施設への国際監査を前提に核燃料、核技術の提供を約束した。06年12月には、アメリカ議会が、両国の合意を基礎とする米印原子力エネルギー平和利用法(提案者名から通称ハイド法)を制定した。さらに07年8月にはアメリカの原子力エネルギー法第123条に基づく両国間の詳細協定が合意された。その後インド政府が、国際原子力機関(IAEA)および原子力供給国グループ(NSG)の合意を取り付けたことを受けて、アメリカ上院は08年10月2日に同協定を承認した。米印協定は、インドの核兵器保有を承認する内容なので、核不拡散政策の破綻がこれによって広がる恐れも懸念されている。インドとアメリカはまた、05年7月に締結された印米防衛協力の新たな枠組みと呼ばれる合意を通じて、兵器生産分野でも本格的な協力に踏み出している。日本、オーストラリアなども参加するベンガル湾での軍事演習も、07年9月に実施された。09年7月のクリントン国務長官訪印時には原発2基の提供が約束され、同年11月のシン首相訪米時には印米の「戦略的協調関係」が強調された。10年11月のオバマ大統領訪印時には、民生用原子力開発への全面協力、軍事宇宙技術開発の連携のほか、対テロ対策の連携とインドの国連安保理常任理事国入りへのアメリカの期待が表明された。