日本とインドの外交関係は冷戦崩壊を契機として大きく変容した。冷戦期の日本にとってインドの位置づけは、非同盟運動の代表国、政府開発援助(ODA)の主要な受け入れ国というものであった。だが冷戦崩壊とともに、インドがアメリカ接近を開始し、同時に経済自由化によって外国直接投資に門戸を開放し始めると、「非同盟とODA」という、日印関係の冷戦期枠組みは崩れた。新しい関係が構築されたのは、21世紀に入ってのことである。1980年代後半から1990年代には、日本はもっぱら東南アジアおよび中国との貿易・投資関係を拡大し、インド市場にはほとんど関心を示さなかった。1998年のインドによる核実験も日印関係促進の障害となった。しかし21世紀に入り、インドの経済成長が注目され始め、中国の国際的な立場が強化されるなかで、日本外交は、新興市場参入と中国へのけん制の観点からインドに目を向け始めた。2000年8月には森喜朗首相が訪印し、両国の「グローバル・パートナーシップ」を確認した。05年12月の第1回東アジアサミットの参加国にインドを含めることを強く主張したのも小泉純一郎政権であった。07年8月の安倍晋三首相の訪印時には、日印関係は「戦略的グローバル・パートナーシップ」と表現され、両国間の安全保障協力が課題となり、それは麻生太郎政権期の安全保障協力に関する「共同声明」、それを受けての政権交代後の民主党政権の「行動計画」、両国外務・防衛次官間のいわゆる2+2協議(10年7月)や、陸海の幕僚間交流へとつながっている。この分野では中国を意識した海洋の安全保障協力の色彩が濃い。また経済連携に関しては、日本は08年に東アジアサミットの枠組みに対応する「東アジア包括的経済連携(CEPEA)」を提起したほか、二国間では日印経済連携協定(EPA)交渉が4年間かけて10年10月に完結した。日本の対印貿易額は、輸出入合わせて136億ドルと、中印間貿易額の2割、アセアン・インド間の3割にすぎず、韓国のそれよりも少ない。インド市場での日本の立ち遅れを回復することが日印EPAの課題である。また核不拡散条約(NPT)に未参加のインドに対する原子力技術の供与のように、市場参入と日本の外交原則との両立を図ることもますます困難な課題となるだろう。