1976年に締結された条約。60~70年代に頻発した砂糖、石炭・鉄鉱石、牛肉などの輸入価格をめぐる日豪貿易摩擦の再発回避が目的であった。同条約締結30周年の2006年は日豪交流年と決められた。交流年に前後して日豪会議が開催され(第1回が01年シドニーで開催され、11年ブリスベンにて第7回)、日豪関係の過去・現在・未来が広範な角度から議論されている。07年12月に発足した労働党新政権のもとでも日豪会議は継続されている。しかしラッド首相時代に、同首相が中国通の外交官だったことから、日本より中国を重視するのではないかとの懸念があり、さらに08年4月の最初の外遊地に米英中3国を選び日本を外したことから、不安が高まった。しかし、同年6月と7月の2度の訪日で不安を一掃し、6月の訪問時には日豪共同ステートメント「包括的な安全保障・経済パートナーシップ」が発表された。その後、日豪首脳会談も頻繁に行われている。中国の台頭のなかで日豪友好関係の維持の重要性はさらに増している。他方、11年3月の東日本大震災により停止していた経済連携協定(EPA)交渉は同年12月より再開した。